藤娘、鷺娘

玉三郎の舞踊公演へ行って来ましたー。
美しかったですー。
しかし、長唄の歌詞が聴き取れないのがつらい。幕間に慌ててパンフレットを買って、鷺娘の歌詞を読んで予習して、やっとなんとか聴き取れるって感じ。
でも、まあ、歌詞がわからなくても、藤娘が酔っぱらっていくのはわかったし、鷺娘が悲恋の果てに壮絶に舞い死んでいくのも涙でした。
歌舞伎の師匠(友達)に鷺娘は「必見。まさに鳥!」と言われておりましたが、本当に素晴らしかったです。正直申し上げまして、舞踊公演というのは歌詞が聴き取れないとややもすると退屈になってしまいますが、玉三郎の鷺には引き込まれました。つま先と手の先で鳥の動きを表現した踊りなんか、正に鳥というだけでなく澄みきった美しさとでも申しましょうか。
演出も考え抜かれているのですね。場内真っ暗。一寸先も見えない状態で、密かな雪の音(太鼓)。薄ぼんやりと白い舞台が浮かび上がり、そこに一羽の鷺がいる・・・。
鷺が娘の姿になって、また鷺にもどるところなんか、桃色の着物から一度緋色の着物が見えたかと思ったら、次の瞬間には白鷺になっている!
そこからさきが、また凄まじくてですねぇ!バレエの瀕死の白鳥を思い出したりしましたが、首から肩、指先に掛けて白い着物で覆われていて、バレエのように腕の動きとか直接は見れないのです。肘から先を小刻みに動かすのが羽ばたきに見えます。天を仰ぎ、降りしきる雪の中、白鷺が舞う。正に舞う。狂おしいばかりの舞でございます(涙)。
藤娘の方は、屏風の藤が美しかったわ~。藤にも色々あって、ずんぐりむっくりの藤があったりしますが、ワタクシがもっとも美しいと思っている種類の藤が描かれておりました。着物も帯もかんざしも、その藤尽くし。
長唄の皆さん、よいお声。今回、初めて三味線(細竿)をカッコいいと思いました。三味線と太鼓に拍手が沸いたもの。
そうそう、お客さんもおもしろかったです。
衣装が替わるたび、背中を反らすたび、会場がざわざわと。「じわ」ではなく「ざわ」(笑)。
花束も新聞紙で包んでいたような(^_^;。新聞紙風の包装紙かしら?お家で摘んできたお花かな。
お客さんの様子は、玉三郎が来てくれて嬉しいーって、すごく伝わりました。

勧進帳>高麗屋

27日(木)に須崎市文化会館へ観に行ってきました。
弁慶:松本幸四郎
富樫:市川染五郎
の勧進帳がメインですが、幸四郎さんが演出した歌舞伎入門があって勉強になりました。それとお客さんを舞台に上げて、女性には立ち回りを、男性には女形を演じてもらうという趣向、これ、受けるんですよねー。やっぱり、おもしろかった(^o^)。特に女形は大受けです。
勧進帳は、私は海老蔵、仁左衛門のを観たことがあるのですが、それに比べると大変あっさりしておりました。染ちゃんは、こんなに線が細かったっけ???と意外。線が細くて色っぽい富樫になっていて、おまけに「弁慶が必死で義経をちょうちゃくする姿に心を動かされ、騙されたふりをする」という風には見えなくて、富樫としてはどうよと思いましたが、その色気、ワタクシといたしましては楽しませていただきましたー。

寿初春大歌舞伎(松竹座)

もう2ヶ月近く経ちますが、舞台の記憶は鮮明でございます。
<昼の部>
源平布引滝 義賢最期(げんぺいぬのびきのたき よしかたさいご)
この芝居で面白かったことを煎じ詰めると二つになりました。
一つは、義賢(愛之助)が平家に攻め入られ、これを迎えて討ち死にするのですが、この戦いの場面で驚愕の技が!
戸板二枚を立てて、それに渡したもう一枚の戸板に義賢が乗るのですわ。二階から見ていてもかなりの高さです。しかも、その板の上で立ち上がる!劇場では「きゃー」とか「うおお」とかどよめきが上がります。
それだけではありません。戸板を支えていた人達が、戸板を離して去っていくのです!
そうすると、もちろん立てていた戸板は倒れます。更なる悲鳴が上がっても成す術なし。義賢が上手く着地して見栄を切るのにホッと一息。そして、拍手、拍手でございます。
それと仏倒しという大技。ひな壇の上から、ばったりと前に倒れるのが義賢の最期です。これは痛い!戸板乗りより痛い!(と思う。)歌舞伎って観るたびに、こういう大技にビックリさせられて、いったいどれほどの技があるのだろうと感心しきりでした。
もう一つは、お話の方です。源氏の白旗を平家に取られないよう守るように義賢から言われた小万。小万の小さな息子太郎吉、小万の年老いた父親。なんか覚えのある登場人物だと思ったら、昨年9月に観た「実盛物語」の登場人物ではありませんか。
そうなんです。「義賢最期」の後日談である「実盛物語」を先に見ていたのです。
芝居と芝居がつながる!なんか嬉しかったです。こういうのも歌舞伎の楽しみですね。
花街模様薊色縫 十六夜清心(さともようあざみのいろぬい いざよいせいしん)
十六夜(玉三郎)と清心(仁左衛門)が、がらりと人柄が変わるのが見所。おもしろかったです。
人を殺めてしまい狼狽していた清心が、次の瞬間には「一人殺すも千人殺すも、獲られる首はたった一つ」と変わってしまう面白さ。そそとして儚い十六夜が、人が変わると声音まで変わる面白さ。看板役者は、期待を裏切りませんね。

寿初春大歌舞伎(松竹座)

いやー、おもしろかったです。
仁左さま、いろっぽい。玉さま、きれい。孝太郎さん、おみごと。
歌舞伎って映画ですね。孝太郎さんが、主役を演じた「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」なんか、デパルマです。
■神霊矢口渡
お舟(孝太郎)は、一目ぼれした新田義峯(薪車)を、追っ手から逃がすため、義峯を捕まえたという知らせの太鼓を打ち鳴らそうとします。でも、その前に、自分の父親に義峯と間違えられて刺されており、そのうえ、義峯を逃がしたと知った父親から殴るの蹴るのされてボロボロの身です。だから、太鼓まで這って行くわけです。これが、ブライアン・デパルマ真っ青のスローモーションなんですねー!
観客としては、恋に一途なお舟に早く太鼓を叩かせてあげたいのですが、正に「三歩進んで二歩下がる」。更に嘘の太鼓を叩くなと邪魔が入って、もー、地団太を踏みたくなります。
これは『ミッドナイト・クロス』で、囮となったナンシー・アレンを助けに走るジョン・トラボルタのスローモーションシーンで地団太を踏んだのと同じ!
孝太郎さん、ホンマによかったです。
お舟は、戸を開けるまでは無愛想だったのに、開けた途端、義峯に一目ぼれして態度が変わる面白さ。嬉し恥ずかしで(けっこう積極的に)迫る姿の可愛らしさ。義峯が連れの女は妹で、お舟と添うてもよいと言ったのを全く疑わず、懸命に太鼓を鳴らそうとするいじらしさ(涙)。感動しました。
それにしても、父親は、誤ってお舟を刺しても介抱するどころか、ちょうちゃくするとは。褒美の金に目がくらんだ父親が、義峯を追うため花道を駆け抜ける姿。凄まじい形相でした。動きもスローモーションで、この動きは正に芸を見せてもらったという感じで、そのうまさに感動しました。
■おかる・勘平(道行/鉄砲渡し/二つ玉/切腹)
「ロミオとジュリエット」のような若さを要求される二人を、「ロミオとジュリエット」ほどには若くない仁左さまと玉さまがどんなに演じるのだろうと興味津々でありました。
そしたら、まあ、おかるの親元へ向かう道行の場面では、仲睦まじく、お似合いのカップルで、当てられるわ〜。二人とも若い、若い。背景の富士山や桜が、初春歌舞伎にふさわしい明るさです〜。
勘平が切腹に至るまでに、年季奉公に連れて行かれるおかるとの別れの場面があるのですが、おかるが名残を惜しんでいるのに勘平は一言も発せられません。周りの話の様子から、夕べ自分が誤って撃ち殺し、懐から五十両を頂戴した相手は、おかるの父親だったことがわかって、ショックでものが言えないのです。
おかるが出て行ったあと、義父の遺体が運び込まれてからは、床に突っ伏したままです。いや〜、この背中が色っぽい(はぁと)。しかも、一言のセリフを発しないのに、その背中から二十歳前後の若者の雰囲気が伝わってくるのです〜。もちろん、何ということをしたのかという声にならない嘆きも。
義母には「もしや殺したのはお前では」と詰め寄られるし、仇討ちに加わりたさに調達した五十両も「主君の大事のときにいなかった近習の金は受け取れぬ」と突き返されるし、「いいわけなさに勘平が、切腹なしたる身のなりゆき、ご両所方、ご推量、く、く、くだされい」という気持ち、わかった、わかったぞぅぅぅぅ……!
妻は身売り。自分は窃盗。主君の仇討ちのために、そこまでしたいかねと思うなかれ。当時の若者の価値観というか、気持ちがすごくよくわかりました。泣けましたぞぇ。
翌日(1月22日)昼の部に見たお芝居については、また明日。
歌舞伎・演劇トップ > 大阪松竹座 > 2006年1月の公演情報
http://www.shochiku.co.jp/play/shochikuza/0601/index.html