実体掌握不能 変光星写真(ピンぼけ)

楽しみ方

デヴィッド・ボウイという人は、実に様々な楽しみ方ができる。昨年、『地球に落ちて来た男』を久々に見て、何度もビデオを巻き戻し、美しさと儚さを堪能した。70年代のボウイはこの世のものとは思えぬ美しさで、容姿から興味を持った人は少なくないと思う。かく言う私もその一人で歌う姿をカッコいいと思ったのが始まりだった。でも、決定打はやはりヴォーカルで、もし、あの声を聞かなければファンにはならなかっただろう。地を這うような低音域から切なげにシャウトする高音域までを、あるときは七色ヴォーカルと呼んで誉めたたえ、またあるときはよく似た声のイギー・ポップと比較して「イギーの声には芯があるがボウイの声にはない」などとけなして遊んだ。

ソングライターとしての才能は言うまでもなく、数々のアルバムが証明している。耳になじみよい流れるような旋律と、社会的な問題と個人の内面がうまくミックスされた歌詞がよい。中でも「ロウ」は岩谷宏の名訳で、今回いっしょにコンサートに行った紅バラさんと私の間では「岩谷宏はすごい!」と本尊そっちのけで伝説の人になっている。

ボウイ周辺の副次的人物は私にとってもう一人、井上貴子がいる。最新アルバム「アウトサイド」のライナーノーツでは、「刺激中毒のボウイは、それがないと音楽は続かないらしい。」などと書いており、いちいち肯ける。また、インタビュアーとして突っ込み鋭く、「アウトサイド」の登場人物は作者の分身であると強引に認めさせてしまった(笑)。

ところで、誰がインタビュアーであろうと彼のインタビューは心して読まねばならない。だますつもりはないのだろうが、その時の思いつきや考えを後先考えず言ってしまうので(それにコロコロ気が変わる人なので)、結果として嘘になることがある。読みながらこの辺は怪しいな~と眉に唾するようになれば年季の入ったファンと言えるかもしれない。

映画は『地球に落ちて来た男』の他にいくつもの出演作がある。「エレファントマン」の舞台にも立ったし、絵の個展を開く予定もあるそうで、これからも何かと話題を提供してくれるだろう。一定の枠にはめたりせず、次はいったい何をやらかしてくれるのかという気持ちで付き合うのがデヴィッド・ボウイを楽しむコツである。

変わらないものは何もない

チェインジズ(変化)、ムーブオン(動き続ける)などの曲を作ってきたボウイは、諸行無常という考え方に共感するらしい。うんうん、シワも増えたし、グラムロックの頃の高い声も今いずこ。アルバムも一作ごとに趣向をこらし一つところに止まらず、よい意味でも悪い意味でもファンの期待を裏切ってきた。特に83年の「レッツ・ダンス」以降はがらりと変わり、昔からのファンはいささか複雑な心境のようだ。ファンの間では大ブーイングだったティンマシーンまでもそれなりに楽しんできた私でさえ、70年代の圧倒的な名曲の数々を思い起こすと80年代以降のパワーダウンは認めざるを得ない。だから、うえの「楽しみ方」の半分くらいは70年代のボウイについて書いたことになる。

思えば「スケアリー・モンスターズ」までのアルバムには切実さと必然性があった。破滅の方向へ進んでいるとしか思えない世界に生きていることの不安とか恐怖がファイブ・イヤーズなどの曲になり、めまぐるしく変わる世の中でシリアスに意思疎通しようとするとき深まる孤独感がサウンド・アンド・ヴィジョンなどを生んだような気がする。感情をさらけ出すタイプではないし、自らをキャラクターに投影させて実像はあらわにしなかった人だから、「70年代のアルバムはあなたの切実な感情から生まれたものでしょう?」なんて聞いても「そうだったかなあ」とはぐらかされそうだ。いずれにせよ、生の感情をうまく加工した「スケアリー・モンスターズ」まではボウイの身の内から出てきたアルバムという感じがする。

それに対して「レッツ・ダンス」以降は彼自身の内面よりも社会面に重きが置かれ、その分表面的になったと思う。年を取って生きることに慣れ生活も精神も安定すると不安や恐怖をあまり感じなくなる。能天気な曲を作れない体質のボウイにとって、不安や恐怖などの負の感情は作品を生み出す原動力だったろうに、これを失ってはパワーダウンも仕方がないか。

例外的に、彼自身のことを歌ったと言われる「ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ」がある。ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)とも第二の思春期とも言われる時期に、自らを総括し新たな一歩を踏み出すかのような清々しいアルバムが誕生した。そこには安定した内側から、ぐちゃぐちゃになって渦を巻く外側をながめているボウイがいた。

どうもこの人は安定とか定位置なんて嫌いみたいで、せっかく落ち着いた内側を外からの刺激によって壊そうとしているようだ。「アウトサイド」の序章では「猟奇殺人(に象徴される目茶苦茶な世の中)はの問題で、あなたにも私にも関係がある。音楽が外側にあるように、そういう問題も確かに身体の外側にあるけれど、無関心でいいんですか。」なんてことを言って、人様までも不安に陥れようとしている。(善意に解釈すれば警鐘を鳴らしているとも言う。)

以上ボウイの変容を曲やアルバムから受ける印象でみてきた。歌詞とか音作りを検証すれば説得力もあるだろうけど、時間と根性がなかった。(主に根性。)それに、もっと短くすることもできた。すなわち、感受性鋭くひ弱でしたたかな青年が惰性で生きる中年男になり、「これではまずい」と狂った世界の反射板になろうとしている。

この先ボウイは、どこへ行くのだろう。

アウトサイド・ツアー

彼の行く先を確かめるべく、6月8日、広島厚生年金ホールでのコンサートに行ってきた。何せ猟奇殺人をモチーフにした「アウトサイド」コンサートである。あまり陽気な曲などない。おまけにアメリカでのツアーでは前座で大いに盛りあがり、ボウイで大いに盛り下がり、お客がソロゾロ帰って行ったと聞いている。それに井上貴子がインタビューした先の記事によると「伝統大衆芸能のエンターテイナーになるよりも自己の芸術哲学に正直な表現者になりたい」と言っていたので、それは無理なんじゃないかな~と思いつつも、やはり心配だった。芸術哲学に徹して陰陰滅滅たるコンサートだったらどうしようと思って。

しかし、それは無用の心配だった。いや~、もう、かっこいいのなんの。欲を言えばコーラスをもうちょっとしっかりしてほしく、難を言えばギターとキーボードがやかましかったが、よく声も出ていたし、芸風変わらずパントマイムもあり、舞台装置も照明も曲に合わせて飽きさせず、昔の曲と「アウトサイド」の曲を2、3曲ずつ交互にやり、神々しいまでのオーラを放つボウイ様。これを途中で出ていくなんて、大バカヤローでないかいな。でも、出て行かれたからこんなステージに直したのかも、もし、昔の曲がなかったらと思うと何やら複雑ではあった。

三千人は入ると思われるホールに詰めかけたのは20代後半から40代前半の男女。今か今かと待ちに待ったご本尊が登場したときのわき上がる歓声。曲ごとの手拍子。ゼイ・セイ・ジャンプのジャンプというところでジャンプする人たち(多分、若者)。アメリカでの冷たい仕打ちと打って変わって、温かく熱狂的に迎えられてボウイはとても嬉しそうだった。子どもみたいに、はしゃいでいるようにも見えた。それを見てこちらもますます嬉しくなって、三回行ったコンサートのうち初めてボウイを身近に感じることができた。

嬉しそうだったことをkanagon師匠に「ボウイも人の子だった」と報告した。でも、ただの人の子ではないよ。後光の差す彼を見て、両手の指を胸で組み、瞳キラキラお星様、少女マンガしてしまった。コンサートを見ただけではボウイの行く先なんて見当もつかないけれど、この星が輝くかぎり追い続けようという気持ちがはっきりした。