隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの五原則

初めて建築家の頭の中を覗いたので、いろいろ刺激があって面白かった。(建築の依頼主のインタビュー映像では、人となりの一端も窺える。)
隈さんが設計するうえで大切にしている建築概念の「孔」「粒子」「ななめ」「やわらかい」「時間」ごとに代表作品の模型が展示されていた。解説も隈さん自身がされており、建物ごとの解説はまあ何となくわかったような気がするが、建築概念は難しかった。

実際に行ったことがあるのは県内の梼原町総合庁舎(役場)と同町の雲の上のホテル・レストラン。
ホテルは夏に泊まったかな。西日が入って暑かったような。冬にも泊まったかな。廊下とか寒かったような。遠い昔のことで記憶のねつ造かもしれない。デザイン的にはシンプルとは言い難い、余計なものがある感じ。(雲の上のプールは大好きなんだけど隈さんではないみたい。)
総合庁舎の方は木が迫ってくるような重苦しさだった。屋内は木の匂いもあって若干重い感じだったと思う。建ったばかりだからかもしれない。
どちらの建物も遠くから見たら風景とマッチしてよいかもしれないが、ごちゃごちゃした感じであまりよい印象を持ってなかった。
けれど、「小松マテーレファブリックラボラトリーfa-bo」の模型を見て少し考えが変わった。
fa-boは、実物を間近で見たら太いワイヤーが並んでいて結構ごつくて、ごちゃごちゃと余計なものに感じられるかもしれないと思った。でも、耐震補強という機能を果たしながら、遠目に見れば柔らかいベールで覆われた建物に見えるのなら、それはそれでいいかもと。要するに、梼原町役場と雲の上のホテル・レストランのごちゃごちゃも装飾だけではなく何か機能性があるのなら、面白いと思えるなぁということだ。

ネコの視点で建築物・工作物をどう作るか考えるのは、隈さんの建築概念よりわかりやすかった。
隈さんの考えとは異なるかもしれないけれど、私なりに受けとめたのは(覚えている範囲で)次のとおり。
(1)電信柱でも擁壁でもその「素材」によってネコが能力を発揮できる。ツルツルしたものよりガザガザしたモノの方が、ネコの爪のとっかかりになりやすい。
(2)ネコには「隠れ場所」が必要。身を潜めてあたりをうかがうところがあれば、脅威にさらされることがなく、情報を遮断されることもない。
(3)ネコは「狭いところ」が好き。狭いところはデススペースではない。ものは考えよう。空間は生かしよう。
(4)ネコは、飛び降り、飛び跳ねる。平面上の移動だけでなく、「縦移動」も考慮すべし。
(5)時間は長いスパンで考えると経年劣化だけど、短いスパンで考えると「動線」だ。ネコの行動範囲を把握すべし。
ネコを主人公にした動画は、一つの動きにつき視点を変えて作成されていた。建築家って普段から動きを立体的に捉えているのか~と感心した。

TOYAMAキラリのVRは、ドローンで撮影されたものだろうか、カメラ移動があって楽しかった。

行ってみたいところ
シドニーのThe Exchange。富山市のTOYAMAキラリ。中国杭州の中国美術学院民芸博物館。長岡市のアオーレ長岡。熊本市の浜田醤油。梼原町は行こうと思っている。
アオーレ長岡(2012年竣工)の「中土間」は、人が集う場所としてとてもよいと思った。市役所、体育館、シアター、福祉カフェの複合施設が中土間でつながっている感じ?中土間は通り道でもあるようだ。長岡市はお金持ちだな~とも思った。中土間に佇んでみたい気がした。
浜田醤油の床は醤油色で正解だと思う。蔵の中にカフェもあるようだ。お醤油の匂いはするのかな?

アオーレ長岡-視察のご案内
浜田醤油株式会社
梼原町×隈研吾建築物
隈研吾展
隈研吾建築都市設計事務所
(2020/11/16 高知県立美術館)

竹﨑和征-雨が降って晴れた日 Takezaki Kazuyuki”A Sunny Day After Rain”

「当地の現代アーティストを県民に紹介したい!」という県美の学芸員の叫びが結実した企画のようで、栄えある第1回にふさわしく多数の県民が好きになるんじゃないだろうか。風のように軽く、水のように透きとおった感じが心地よく、お茶屋美術館に収蔵したい作品(やっぱり基準は好きなもの、自宅に合うもの)がいくつもあった。ちょっと温かみも感じるので熊谷守一の猫を土コーナーに、竹﨑さんのどぜうを水コーナーにして・・・・。無造作に見えて細かいところがキチッとしている。竹﨑さん、細かいキチッとした人やろう!?
大方が観た風景を頭で混ぜて描いた作品とのことで、緑が多いことにホッとする。風景を描いているのに砂漠色ばかりだったら悲しい。
それから、水平線ぽいものやテトラポットっぽいもの防波堤ぽいものを感じたため、海を感じた作品がいくつかあったけれど、ぜんぜん違ったみたい(^_^;。
作品「十市」はどこかで観たと思って帰宅してから、県民文化ホールの緞帳だと気がついた。無関係なのにスンマソン。
解説も一生懸命(何回も)読んだけど、ぜんぜん頭に入らず。出ようとしたところ写真撮影可に気づいて、解説を撮影し帰宅してから読めてよかった。作品数は62点。ゆっくり観て1時間くらい。ちょうどのポッチリ。この調子で2回目も楽しみ。

あつめてのこす 高知県立美術館のコレクション←観てないのに書いた感想。県美の学芸員の叫びを引用している。
(2020/11/13 高知県立美術館)

WHIST ウィスト

VR(バーチャルリアリティ:仮想現実)を体験できるアートということで行ってきた。

ゴーグルとヘッドホンをつけて360度の映像を見るといった感じ。五部屋くらいを移動して、その部屋の中に立ち、部屋で起こることを見る。現実に足を動かして移動するあいだは映像はない。ゴーグルを通して又はその隙間から現実の床や他の人を見てぶつからないように歩く。

一つの部屋では裸の“貞子”が出てきた。閉じ込められている様子だ。私は天井からそれを見る。
別の部屋では私は椅子に座った男性(多分)になっていて、女性が身体をくねらせているのを見る。壁にはクールベの「世界の起源」が掛かっていてホッとする。音の影響もあるのだろうが気持ち悪い空間で、寡黙な旧知に会えた感じだ。
また別の部屋では私はテーブルの真ん中に立っていて食事中の三人を見下ろしている。案の定、内臓系に見える肉ばかり食べている。「もっと野菜を摂れ」と言いたいのをこらえてテーブルの上に立ちつづけるのは落ち着かない。アコーディオン弾きを注視して音楽に救いを求めても、なんかあまり好みの曲じゃない。
また別の部屋では私は床から頭を出して追いかけっこをしている男女を見る。
何十とおりも映像のパターンがあり、各人観たものが異なるはずだから、時間があったら一人で来ている人に声を掛けてどんな部屋だったか話し合ってみたいと思った。

ちょっと怖かったり不気味だったりという状況は、これまで散々映画で見てきているから、どうしても既視感があって新鮮味を感じられなかった。(クールベの部屋で近づいてきた女性が最後に虹色に発光するのは、サイケデリックでとてもよかった。もう少し見ていたい感じだった。)それとVRってよくわからないけど、こんなものなのかしら。部屋ごとに視点は変わるけれど定点から移動できない。臨場感は充分だけど、IMAXシアターとあまり変わらない。「360度、くまなく見なければっ」と思うから、見てないところは損した感じがするし、180度のIMAXで私には充分かな。(と言っても、私が見たのは今はなき天保山のシアター。今のIMAXシアターでは見たことがないのでわからない。)もっとも、仮想空間を移動することまでやるとVR制作にもっとお金が掛かるのかもしれない。
精神分析医のフロイトと寺山修司に着想を得て制作された作品だとのことだけれど、どちらもあまり知らないからわからなかった。作品のおしまいに出てきた番号をネットで照会して心理分析結果を見ることができたけど、よくわからなかった。他の番号もいくつか見てみたけど、似たような感じでやっぱりよくわからなかった。

ゴーグルは現実の部屋を見通せるので、現実の部屋と映像を重ねたら、定点から360度見ることによって面白いことができるのではないかと思ったら、それはAR(拡張現実)と言って既に「OAR」という作品になっていた。webサイトで見ると「OAR」は面白そう。
「AΦE(エーイー)は、イギリス在住の中村葵とエステバン・フォルミによって設立されたフィジカルシアターカンパニー。」とのこと。「パフォーミングアーツ+映像+プログラム」みたいな感じかな。アートとアトラクションやエンターテインメントの境目がぼやけてきている。私としては、その状況を歓迎したい。そして、その中のいくつかの作品が、受け取る者の心身に響いてくれば十分なような気がする。

AΦE(エーイー)アオイエステバン・コム
(2020/11/09 高知県立美術館)

没後20年 具体の画家-正延正俊


2015年の展覧会。感想を書くつもりで画像(県美レター)とかはアップしていたのに、書かずじまいだった。
すごくよかったし、大好きになったと言うことだけでも記しておきたい。
「具体」というアーティスト集団も面白かった。前衛ってイイネ(^o^)。

没後20年 具体の画家-正延正俊(高知県立美術館のページ)

「鈴木理策写真展──意識の流れ」「刺繍をまなぶ展」「具体の画家──正延正俊」(アートスケイプのページ)

「没後20年 具体の画家──正延正俊」「TODAY IS THE DAY:未来への提案」「ヒロシマを見つめる三部作 第1部:ライフ=ワーク」(アートスケイプのページ)