パラサイト 半地下の家族

起承転結、高低差を表す階段など、型にはまった安定感。ユーモアも大。

高いところに住んでいる金持ち一家。
低いところに住んでいる貧乏一家。

起:長男がお金持ちの家に家庭教師として潜り込むことに成功。
承:長女、両親も同家に潜り込むことに成功。
転:金持ち一家が外泊中、貧乏一家がパーティーピーポー化しているところへ、策略で辞めさせられた元家政婦がやって来る。嵐~。
結:金持ち一家の長男の誕生会で思いもよらない(ポン・ジュノ監督作品としては当然のような)ウルトラC級の山場と、ピタリと決まった着地。

ラストショットは蛇足に思えるし(長男が金持ちになって父を地下から救い出すシーンは、下克上が困難な世の中を見ていれば幻想だと想像がつくので、幻想だと観客に知らせるシーンは無用だと思う)、あの石が象徴するものは何なのか私にはわからなかったけれど、やっぱり面白かった。

特筆すべきは「臭い」。いじめや差別などで(そこまでいかずとも他人を傷つける場面において)、加害者側は加害を認識していないことがよくあるようだ。例えるなら、気づかずに他人の足を踏んでいる状態。しかし、踏まれた方は、痛いし、その足をどけてほしいと思い続けているし、思っていることを口に出来る力関係だとまだマシなのだけれど、我慢し続けると「足を踏むのを止めてもらえますか。」と丁寧に言うのが難しくなる。我慢のあげく出た言葉が「どけろよ、バカ」であっても私は構わないと思うので、フィクションであれば、「なんか臭う」と言う言葉に傷つけられてきた貧乏一家の父(ソン・ガンホ)が、遂に雇い主を刺すのもありかなぁとは思うが・・・、さすがに痛かった。貧乏父さんの傷が益々深く感じられて。金持ち父さんはそれほど可哀想じゃないなぁ。その子どもは可哀想だったけど。金持ち父さんは「臭い」によって傷つく人がいるとは思いもよらなかったのだろうけど、無知は罪深い。近年、その思いが強くなるばかりだ。

最高のカット。地下室から首が~。ぎょろ目が光る~。怖可笑しい~。金持ち坊ちゃん、そらトラウマになるわ~。
(2020/02/01 TOHOシネマズ高知8)

ジョジョ・ラビット

『ジョジョ・ラビット』のパンフレットの画像
メルヘンチックな快作。感動した。
色彩設計や、ビートルズからデヴィッド・ボウイまでの音楽もよかったし(ボウイもジョジョやエルサみたいに踊っていた)、リルケのシメ「総てを経験せよ、絶望が最後ではないのだから」もよかった。『サウンド・オブ・ミュージック』でのシメは、尼僧長が歌う「すべての山へ登れ」だった。ジョジョ(両親はいないしベルリンの壁が出来るわけだから)もトラップ大佐一家もまだまだ苦難はあるだろうけど、どちらも前向きになれるシメだ。(リルケと言えば、『天使にラブソングを2』でも引用されていた。「君が作家になれるかって?そんなこと聴くなよ。君が書かずにいられず書き続けたなら、既に作家だ。」)

ドイツ映画だと思って観始めたものだから、ドイツもヒトラーをこんな風に表現できるようになったのかと驚いた。『ヒトラー 最期の12日間』はともかく、『帰ってきたヒトラー』といいドイツはヒトラーのトラウマから解放されたと思った。でも、スカーレット・ヨハンソンやサム・ロックウェルを見かけたら、それはもうアメリカ映画(笑)。ようやくドイツ語じゃないわけだと納得した。鑑賞後わかったのは、制作(資本)はドイツとアメリカで、監督はニュージーランド出身とのこと。ジョジョ役のローマン・グリフィン・デイヴィスはロンドン生まれ、エルサ役のトーマシン・マッケンジーはニュージーランド出身、私の頭は化石。

社会的な影響は、子どもにとって絶大なはずの親の影響を凌駕する。(母はジョジョをヒトラー礼賛するような子に育てた覚えはないぞ。)
社会的な影響も個人が体得したものには勝てない。(まさか自分ジョジョが、ユダヤ人エルサに恋をするとは。)
個を磨き世界平和を実現するには本当に色んなものに触れることが大切なんだなぁ。(それでリルケか。)
音楽のことを知りたくてパンフを買って満足。(売り場に並んでいた人全員が、ジョジョのパンフ買いだった!)
ヨーキー(アーチー・イェーツ)、かっわいい(^o^)。
(2020/01/19 TOHOシネマズ高知1)

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け

ジョン・ウイリアムズの音楽が本当に素晴らしい。オープニングの音楽で早わくわくする。単純な人間は幸せだ。
オリジナル三部作でも二作目(エピソード5)が一番面白かったが、最終三部作でも二作目が面白かった。でも、どちらの三部作も納得の最終作で満足満足。レイ(デイジー・リドリー)が何者かっていうのもわかるし、レイにしてもカイロ・レン(アダム・ドライバー)にしても血統なんて無問題(もーまんたい)というのも、しごく真っ当で健全だ。亡くなったキャリー・フィッシャーも違和感なく存在しているし、若き日のルークとレイアが登場したのにもときめいた。
ラストシーンは、みんな勢揃いで楽しく終わるのかと思ったら、意外にしっとりとしていた。正しく「スカイウォーカーの夜明け」で、ああこれで親子三代に渡る物語がおわり、また新たな世代の物語に移っていくのだという(他のシリーズでは感じることのできない)感慨が湧いた。
(2020/01/08 TOHOシネマズ4)