シアターホリックの夕ごはん会「零れ落ちる女たち」

アルコールがあったらちょっとした「お客(宴会)」になりそうな雰囲気というか、アットホームな感じがまさに「夕ごはん会」だったので、とても気楽にすごせた。ごはんが終わってデザートまで出てコーヒーで一服して・・・という頃合いに前方から呼びかけられて、自己紹介を始めた人がいると思ったら、それが朗読劇の始まりだった。導入部、うまい。

働く気もなく自宅もなく女性の間をフラフラしているシンイチと、4人の女性の物語。ユキ先輩や姉のようなサチコが「やめときな」と言うのに、モエコちゃんはシンイチに夢中で、私も「もう~、やめちょき(呆)」と最初は思ったのであったが、モエコちゃんはそんなシンイチでも充分幸せそうで、「う~む、本人がいいなら傍でとやかく言うことないか」と思い至り、私の周りでモエコちゃんみたいな人が現れても「何も言うまい」と決意した。そういえば、瀬戸内寂聴さんも「放っておけ」と言ってたことだし。いや~、なんかタメになる劇だなぁ。

ところどころ笑えるところがあって(「カレー麻婆めん」、それはないろう(笑))、カジュアルな登場人物のカジュアルな恋愛模様をカジュアルに描いていると思った。役者さんがみんな上手なので、本人が心情をいちいちナレーションするのをもっと減しても思っていることは伝わる気がした。落語が好きなのでト書きは最小限にと思うのかもしれない。場面状況(どしゃ降り)を「ザー」「ザー」と役者さんに言わせたのは、うまいト書き表現で面白かった。

作・演出:松島寛和
(2013/09/20 サホエリカフェ・アルモンテ)

サイド・エフェクト

うひー、怖かった。
何が怖いって精神科医のジョナサン・バンクス(ジュード・ロウ)が処方した薬の副作用で、患者のエミリー(ルーニー・マーラ)が殺人を犯したことではなく、バンクスが事件がらみの医者となったことで「あなたは疵物なのよ」と大家さん(?)に診療所を追い払われ、友人と思っていた医者仲間にも見放され、彼が頼んでも薬の処方さえしてくれなかったことだ。世の中こんなものなのか?人間ってこんなに冷たいものなのか?と私などは(それほど親切でも温かくもないくせに)疑問に思うのだが、そういうことをいかにも普通のように淡々と冷静に描く監督だからソダーバーグって苦手なのだ。辞めるって言ってたのにいつ辞めるのだ(早く辞めろ)。と言いつつも、風景の中のとあるビルにカメラが寄って、一つの窓から入って行くと血痕が・・・・というオープニングと、エミリーが外を覗く窓からカメラが引いていって、その建物の全体をとらえ、更に引いていって、とある町の風景になるエンディングが映画のセオリーどおりで上手いなぁと感心させられた。

お話は、形勢逆転のどんでん返しが面白く、なかなかのサスペンスだった。収穫は、ヴィクトリア・シーバートを演じたキャサリン・ゼタ=ジョーンズ。もともと好きな俳優なんだけど、なかなかイイ役で楽しませてもらった。キスシーンの横顔なんか可愛かったなぁ。さらに色んな役で観てみたい人だ。というか、色んな役ができそうなのに放っておくのはもったいないでしょう。

SIDE EFFECTS
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
(2013/09/11 TOHOシネマズ高知8)

作家の性『風立ちぬ』

町山智浩が映画『風立ちぬ』を語る←youtubeです。25分くらい。始めの方は、それほどでもないけれど、ものを作る人はどんなに危険な状況でも妄想をやめないという「妄想族」のあたりから面白いと思いました。

町山智浩さんの『風立ちぬ』の解説が深かったので書き起こしました。←上記のラジオ番組を2ページにわたって書き起こしてくれています。そのうえ、話題にのぼったユンカース博士、ゾルゲ、オッペンハイマー(原爆を作ったけれど使用には反対した人)などの写真を貼り付けていたり、町山さんが「二郎と菜緒子が療養より二人でいることを選んだ心の内は、軽井沢で合唱する「ただ一度だけ」の歌詞が語り尽くしている。」と言えば、youtubeの「ただ一度の(ドイツ映画 会議は踊る、より)」へリンクしたりと至れり尽くせりです。

『風立ちぬ』の中で「10年間、全力で頑張れ(力を尽くせるのは10年だけだ)」というようなセリフがあって、それを聞いたとき宮崎駿監督は10年以上頑張っているのにおかしいなと思ったのです。それと、名作を連発する映画監督の黄金期というものがあるとして、黄金期って10年くらいなのかしらとも思ったのです。ちょっと引っかかるセリフだったわけですが、宮崎監督の「今度は本気、引退宣言。」を聞いて腑に落ちました。

うえの町山智浩さんの解説を聞いて、『風立ちぬ』は何を見ても聞いても、寝ても覚めても創作のことを考えてしまう作家の性(罪深さのようなものも含めて)を描いた作品でもあったと教えられたわけですが、宮崎監督はそういう性のようなものがイヤになったわけではなくて、年齢的に集中力が持続しなくなったから長編アニメから引退するとのことです。ということは、ジャッキー・チェンと同じだと考えればいいわけですね。ジャッキーもアクションを完全に封印したわけではないものね。

『風立ちぬ』から脱線して、こぼした町山さんのお話、今のほとんどの日本映画は外国では通用しないというのに、あ痛多々でした。こんな風にちゃんと批評しながらも面白い映画評論家って近年あまりお目に掛からなかったので、もっと淀川さんくらい表に出てほしいなーと思ったことでした。