浦上コレクション-北斎漫画展

北斎漫画って50歳代(1814年)から死後(明治時代1878年)まで出版されていたのね。今も印刷されているだろうから、ロングロングセラーだ。
全15冊もあって浦上コレクションが1500冊!見開きになった作品を額装するには、和綴じ本を解体して輪の部分を切って見開きの片側とくっつける必要があるから、切ったりするのはもったいないと思ったけれど、1500冊もあるからできることだったんだ。

とにかく動きのある絵で、清明で朗らかで味わいがある。ますます北斎を好きになった。絵の中にある文字も北斎が書いたの?この文字も好きなんだけど(^_^)。「寄せる波、引く波」にローマ字があって「どうして?外国人へのサービス??」と思ったら、輸出されたもので外国の人が書き込んだものとのこと(納得)。それにしても、植物は牧野富太郎の方が上手い。北斎の植物は硬い。他のものは柔らかいのに植物だけが硬いのが不思議だ。

著作権の保護期間は過ぎているから、いいよね。

あ、絵金も北斎の影響を受けているとかで展示されていた。絵の技法はよくわからないが、放屁合戦とか畑に蛸とかユーモラスなところが共通点なのか?影響はどこかで受けているのだろうけど、それくらいは受けてなくても描くんじゃないかと思う。ただし、いっしょに展示してくれたお陰で、絵金の絵の雑味というか、北斎の清明加減というか、そういう対比が自分の中でできたことだった。
(2020/08/21 高知県立美術館)

マテリアル・ミュージアム-高知で見つけたステキな廃材

楽しかった。展示してある廃材を素材にした来場者の作品(写真)が壁に飾られていて、その発想や写真の撮り方など立派にアーティストだと思った。

分別された廃材を見て何か閃いたら私も写真を撮ってブログに載せようと思っていたが、「まったく何の閃きもない」ことがわかった。パソコンか何かの基盤を見たときに、基盤のうえで迷子になっている人が思い浮かんだが、迷子になっている人を表現する素材を探して作品化する気力がないこともわかった。

それでも楽しかったのは、例えばチェロが廃棄される経緯を想像したり、弦とか色んな部分に分解されているけれど、胴体まで分解するとチェロでなくなる・・・てなことを考えたり、あるいは酔鯨の何十枚ものラベルを廃棄するのは、デザインを変更したのか糊が効かなくなったのか酒造りをやめたのか要するに印刷しすぎたことに間違いないなどと、けっこう脳細胞を活性化できたからだろう。
また、嬉々として作品を作っている親子づれとかカップルとかも微笑ましかった。美術鑑賞は、観ていくペーストとか何やらで一人の方がいいかもしれないが(複数なら別々に観て後で互いのお気に入りを案内するのも楽しい)、このような作品作りだと複数で行くとより楽しいし、アイデアもよく浮かぶかもしれない。

廃材をあつめて回るのは、元の持ち主とのやり取りもあるだろうし、私からすると大変そうだが、それが楽しい人もいるのだろうな~。

こういう捨てられたものから作品を生み出す活動を「クリエイティブ・リユース」と言うそうで、その達人である大月ヒロコさんの監督のもと成り立った企画だそうな。大月ヒロコさんが岡山県で活動している内容がわかるサイトIDEA R LABを見ると楽しそう。暮らしをアートにしてしまおうということですね。
(2020/08/21 高知県立美術館)

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト

素晴らしい!セルジオ・レオーネ監督作品でちゃんと観たのは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』だけだが、それに匹敵するくらいの満足感だった。

駅で待つ三人の男のロングコートがカッコイイ。待っている男の顔にハエが止まる。それだけのことに何分間を費やすのか。ちゃんと落ちまである!
登場人物のアップが映える。蝿に止まられた男を始め、アップに耐えうる顔ばかり!ヘンリー・フォンダもジェイソン・ロバーズも名優だったんだー。素晴らしい化けっぷり。そして、絵になるシーンばかり!キャラクターごとのテーマ曲もグッド。エンニオ・モリコーネ(合掌)。決闘、お色気、友情あり。お尋ね者もいるし、復讐劇でもある。汽車も走って西部満載。

夫子を殺された妻ジル(クラウディア・カルディナーレ)の復讐箪かと思いきや、さにあらず。(妻の復讐箪だとタランティーノ作品になってしまう(^Q^)。)大陸横断鉄道が西部へ延伸する際の利権が絡んだ話だった。ラストは、ジルの細腕繁盛記を予感させつつ、こうして西部が拓けていくのだなぁと感慨深かった。
(2020/08/17 あたご劇場)

追悼:大林宣彦監督

4月に亡くなった大林監督は、以前、死者と生者をつなぐ映画(3)に書いたように「『愛される映画』と『愛すべきトホホな映画』をたくさん生み出した」。末期ガンだとわかってからも生きて映画を作り続けた。遺作となった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』は当地でも上映予定で楽しみにしている。

大林監督の言葉で印象に残っているのは、二つ。
映画ナタリーのページ「あの日の声を探して」に寄せて大林宣彦が語る、フィクションの持つ力とは(2015年4月19日)より

「そもそも、映画っていうのは記録装置なんだ」と説明。「ただリアルな記録を見せても、それが拒否されれば風化してしまう」と人々が同じ過ちを繰り返しかねないことに警鐘を鳴らし、「フィクションには、“嘘から出たまこと”がある。たとえ絵空事でも、根も葉もあれば花が咲く。事実を超えた真実を伝えるのが劇映画というもの」と続ける。

裁判でも国会の議事録などの公文書でも新聞でも事実の切れ端はわかるかもしれないが、事実の奥にある本質を理解するのは難しい。物事の本質は、むしろ映画や小説などの創作物によってわかることの方が多いと思う。まずは感情でそれを受けとめて、あとで考えてみると本質により近づけるのだと思う。だから、劇映画で現実味の薄い表現があっても一向にかまわない。大林作品にいかにも創作らしい表現が随所にあるのは、そういうわけだったのだ。

もう一つの言葉は、対談で塚本晋也監督に向かって言ったという。
「僕は戦後の監督、あなたは戦前の監督」
大林監督の認識では、今はもう戦前なのか。晩年は戦争に関する映画が続いていた。塚本監督は、先輩監督の警鐘を受けとめて行動している。

『この空の花 長岡花火物語』の感想


追悼上映会のつもりで観てきた。
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『ÉMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』
面白い!大林監督の好きなものが詰め込まれた宝の箱のようだ。好きなものの四次元コラージュ。なんだか愛しくなってくる。もちろん、女の子もいる。帯を「あ~れ~」とほどかれる(笑)。20分くらいにまとめていたら完璧!

『可愛い悪魔』
面白い!「優しい悪魔」はキャンディーズに、「可愛い悪魔」は女の子が好きな大林監督におまかせだ。秋吉久美子はセリフがところどころ強くなるので、弱々しいばかりのヒロインは不似合いなんだけど可愛いから許す。悪魔っ子の女の子、なかなかやるな。ガラスの花瓶、ズボッ、くるくるくるくるは、思わず笑ってしまった。リアルにやられると気が滅入るので助かった!火曜サスペンスを始めから終わりまで見たのは初めてだった。
(2020/08/15 高知県立美術館 高知県立美術館ホール)