WHIST ウィスト

VR(バーチャルリアリティ:仮想現実)を体験できるアートということで行ってきた。

ゴーグルとヘッドホンをつけて360度の映像を見るといった感じ。五部屋くらいを移動して、その部屋の中に立ち、部屋で起こることを見る。現実に足を動かして移動するあいだは映像はない。ゴーグルを通して又はその隙間から現実の床や他の人を見てぶつからないように歩く。

一つの部屋では裸の“貞子”が出てきた。閉じ込められている様子だ。私は天井からそれを見る。
別の部屋では私は椅子に座った男性(多分)になっていて、女性が身体をくねらせているのを見る。壁にはクールベの「世界の起源」が掛かっていてホッとする。音の影響もあるのだろうが気持ち悪い空間で、寡黙な旧知に会えた感じだ。
また別の部屋では私はテーブルの真ん中に立っていて食事中の三人を見下ろしている。案の定、内臓系に見える肉ばかり食べている。「もっと野菜を摂れ」と言いたいのをこらえてテーブルの上に立ちつづけるのは落ち着かない。アコーディオン弾きを注視して音楽に救いを求めても、なんかあまり好みの曲じゃない。
また別の部屋では私は床から頭を出して追いかけっこをしている男女を見る。
何十とおりも映像のパターンがあり、各人観たものが異なるはずだから、時間があったら一人で来ている人に声を掛けてどんな部屋だったか話し合ってみたいと思った。

ちょっと怖かったり不気味だったりという状況は、これまで散々映画で見てきているから、どうしても既視感があって新鮮味を感じられなかった。(クールベの部屋で近づいてきた女性が最後に虹色に発光するのは、サイケデリックでとてもよかった。もう少し見ていたい感じだった。)それとVRってよくわからないけど、こんなものなのかしら。部屋ごとに視点は変わるけれど定点から移動できない。臨場感は充分だけど、IMAXシアターとあまり変わらない。「360度、くまなく見なければっ」と思うから、見てないところは損した感じがするし、180度のIMAXで私には充分かな。(と言っても、私が見たのは今はなき天保山のシアター。今のIMAXシアターでは見たことがないのでわからない。)もっとも、仮想空間を移動することまでやるとVR制作にもっとお金が掛かるのかもしれない。
精神分析医のフロイトと寺山修司に着想を得て制作された作品だとのことだけれど、どちらもあまり知らないからわからなかった。作品のおしまいに出てきた番号をネットで照会して心理分析結果を見ることができたけど、よくわからなかった。他の番号もいくつか見てみたけど、似たような感じでやっぱりよくわからなかった。

ゴーグルは現実の部屋を見通せるので、現実の部屋と映像を重ねたら、定点から360度見ることによって面白いことができるのではないかと思ったら、それはAR(拡張現実)と言って既に「OAR」という作品になっていた。webサイトで見ると「OAR」は面白そう。
「AΦE(エーイー)は、イギリス在住の中村葵とエステバン・フォルミによって設立されたフィジカルシアターカンパニー。」とのこと。「パフォーミングアーツ+映像+プログラム」みたいな感じかな。アートとアトラクションやエンターテインメントの境目がぼやけてきている。私としては、その状況を歓迎したい。そして、その中のいくつかの作品が、受け取る者の心身に響いてくれば十分なような気がする。

AΦE(エーイー)アオイエステバン・コム
(2020/11/09 高知県立美術館)

15年後のラブソング

海辺の博物館、イイネ。
名曲、“Waterloo sunset”、イイネ。
伝説のロッカー、タッカー・クロウ命のダンカン(クリス・オダウド)、ファンとしての狂いっぷり、笑えるね。
15年ダンカンと生活してきて別れて自分らしく生きていくジュリエット(ローズ・バーン)、とってもイイネ。早く妹を見習えばよかったけど、そうもいかない姉の立場、わかるよ。
あちらこちらで子どもを作って孫も生まれるけど、父親を一からやり直し中の雲隠れロッカー(イーサン・ホーク)、ゆるゆるでイイネ。

若かりし頃のタッカー・クロウの写真は、イーサン・ホークの写真で繊細そうなロッカーに見えた。『いまを生きる』『リアリティ・バイツ』『ガタカ』、う~ん、だよねー(^_^)。年を取ってからもずーっと、今まで作品にも恵まれて良い位置をキープしているなあ。『魂のゆくえ』を観てみるかな。
(2020/11/06 市民映画会 かるぽーと)

ペイン・アンド・グローリー

ペドロ・アルモドバル監督の自伝的作品とのことで、アルモドバルらしき映画監督サルバドールは、アントニオ・バンデラスによって演じられている。
これまでのアルモドバル作品と異なり、ヘンテコじゃない。ごく普通。アルモドバルの素なのか、母を亡くしてからのリハビリ的な作品なのか。そんなに面白いとは思わなかったが、まったく退屈しない。色彩や風景や衣服に調度品やら、何から何まで見応えのあるものばかり。

グローリーの部分は公になっているから、ある程度は知っていたり想像できると思うけど、ペインの部分はどうだろう。俳優と違って監督のことはプライベートまで知らない。作品をより理解しようと思ったら、俳優より作り手のプライベートこそ参考になるはずだけど。人間関係はともかく、こんなに心身の不調を抱えて映画を撮っていたとは大変だったねぇ。反対に言えば、よく撮れたねぇ。漢方は試したのかしら。

サルバドールが聖歌隊のリードボーカルをしていたというエピソードから『バッド・エデュケーション』を思い出したりしたが、ファンが観たらもっといろんな作品を彷彿させられるのかもしれない。
(2020/11/06 市民映画会 かるぽーと)

ガーンジー島の読書会の秘密

タイトルだけで観たくなる(^o^)。そして、タイトルどおり、若き作家ジュリエット(リリー・ジェームズ)がガーンジー島に取材に赴き秘密を解明していく話で、期待を裏切らない面白さだった。原題は「THE GUERNSEY LITERARY AND POTATO PEEL PIE SOCIETY」でセリフの中でも出てくるので、聞きながら「皮むき器をピーラーって言うのは皮がピールだからかぁ。」とどうでもいい発見をした作品でもあった。

こういう作品を英国の若者が観て、第二次世界大戦時にイギリス海峡の島もドイツに占領されていたことを知るのだろう。私も初めて知った。この作品には、空襲後の惨状、疎開、占領下での食糧などの没収、飢え、外出など行動の制限、敵兵との交流、密告、抵抗、密告者の末路、戦後も続く悲劇など、戦闘以外の戦争が網羅されているのではないだろうか。
米軍将校のマーク(グレン・パウエル)という婚約者がありながら、島の農民ドーシー(ミキール・ハースマン)と惹かれ合っているジュリエットの恋の行方は!?という興味もあり。1本で2度おいしい。というか、もっと本を読んでいたら3度おいしかったかもしれない。

敵の占領下、飢えていた時代に読書という心の糧を得た人たち。古本の新旧の持ち主という縁で繋がったジュリエットとドーシー。本を引用した手紙で真意が伝わるという妙味。そして、取材はしても書かないという約束を破ってまで書かずにいられなかった占領下の島と読書会の面々の物語は、読書会に贈られて公表はされていないけれど、時が経てば公表されると思う。そうしないと忘れ去られ、なにもなかったことになってしまう。仮に公表されなくても本はタイムカプセルの役割を果たしてくれるはずだ。そのときは、未来の人と過去の人をつなぐ役割をするわけだ。本で繋がるってイイネ。紙の浪漫の物語。
(2020/10/28 シネマサンライズ 高知県立美術館ホール)