中島敬朝展、テオ・ヤンセン展、石元泰博コレクション展

中島敬朝展

中島敬朝展鑑賞のしおりの画像

中島敬朝、没後40年の展覧会。ネットで昆虫スケッチなどを見て、ぜひ、鑑賞してみたいと思って行った。現四万十市下田出身で京都で日本画を学び、故郷に疎開し、大病を患い京都に戻るのを諦めたが、高知県内で県展の審査なども務め指導的立場で活躍した人らしい。脚本家中島丈博氏の父とのことで、高知県狭い~(笑)。
「京都時代(1920年~1940年頃)自然との融和、花鳥画家としての成熟」「高知時代(1945年頃~1983年)自然との対決、風景画家への変容」という展示で、一目惚れの昆虫スケッチは初期のもので、画帖「木守」もいいし(ほしい♥)他にも好きなのがあったけれど、明らかに後期の絵が好き好き♥だ。石鎚山を描いたものが何枚もあったが、中でも「残照」の色のきれいなこと。また、宣伝のハガキにもなっていた「岬の椿」は、一目見るなり左隅の薄青緑は海だとわかり、他の木々とともに潮風に晒されてたくましく生きているなーと思った。印刷では海だとはわからなかったのだ。令和4年度に県美の収蔵作品となったものも多く、いい買い物(寄付?)したな~と嬉しくなった。新規なところはないかもしれないが、好きな作品が収蔵されるのは嬉しい。

テオ・ヤンセン展

展示だけで動かないのを見てもなぁとあまり食指が動かなかったが、けっこう頭を働かせながら見た。つまり、足の形からするとカニさんみたいに横歩きしか出来ないのでは?(後の作品は進化して尺取り虫みたいに動けるようになったようだ)とか、プラスチック製だけど竹にしたら?オランダには竹は生えてないか・・・・と思っていたら、参考資料によるとプラスチックのパイプを加工して組み立てているようなので、ああ、竹の生えてないところで竹職人になるのは無理があるか・・・・と思っていたら、過去には木材や金属で作っていたと解説を読み、それなら竹で!と押しつけるのはよくないか・・・・・と思っていたら、ネット上で映像などを公開し、世界中でこの生き物を作るよう(それが繁殖とのこと)願っているとのことで、それなら日本で作る人があれば竹と和紙で!と妙にこだわった。自然素材がよいのではという思いも若干あり。なぜ、こんな大きなものにしたのかという謎も解けた。材料をプラスチックパイプにしていることで小さくも出来ないし、大きさにも限界があるとのこと。
この生き物はストランド(砂)・ビースト(生物)と言うそうで、ホームズ物語が掲載された雑誌と、美女と野獣の野獣ということで覚えやすい。始めにこの生き物を作り始めた動機が書かれていたけれど残念忘れてしまった。
第一会場で定時のショー(生き物を実際に動かす)を見て後、石元泰博コレクション展を見ていると第二会場で臨時に動かしますと案内に呼びに来てくださって両方見ることが出来た。中学生(?)の団体が床に並んで座っていて、生き物が動くと「おおー」「うわー」と反応が面白かった。第一会場の生き物は一方向にしか動けなくて手動で元に戻していたけれど、第二会場の生き物は風に飛ばされないよう杭を打ったり、両側に動けるよう進化していた。しかし、会場が狭いためか尺取り虫の動きの生き物は動くところは見れなかった。
無風のときも動けるように、ペットボトルに空気入れの容量で自動的に圧縮空気を入れて動かすというのがどうしても飲み込めず、係の人に尋ねたら実際にはペットボトルの数はもっとたくさん付いており、栓を抜くのは手動だということでやっと理解できた。言われてみると、それくらいのことは自分の頭で考えついてよさそうなものだが、それほど私の頭は働かないのだった。

石元泰博コレクション展「HANA/牧野富太郎記念館の建築」前期

植物をこれほど硬質に撮る人もめったにいないだろうなぁ。背景がわからないので、無機質な部屋に植物を持って来て撮った感じがする。「落ち葉」のバックはアスファルトだったか、それでもやはり硬質な感じ。植物だから硬質さが際立つのかもしれない。こういう特徴があるからこそ、石元作品とわかる。オンリーワンの大切さよ。
植物園の建物(本館、記念館)は、内藤廣さんの設計だそうで本当に素晴らしいものを作ってくださって感謝。写真では普段見れない角度から見ることが出来て、その美しさ優しさを改めて感じた。

角田和夫 土佐深夜日記-うつせみ

昨年度アーティストフォーカス第3回の展覧会で思わず涙が湧いた記憶も新たに、展覧会のカタログを購入。展示されてなかった作品も載っているような気がする。あまり好きではないのだが、ページを繰って再び見ているとやはりなんだか切ない気持ちになってくる。心を動かすパワーがあるのだなぁ。
(2023/06/16 高知県立美術館)

合田佐和子、角田和夫、門田修充_いっぺんに観た

合田佐和子 帰る途もつもりもない

高知県が「うどん県」の真似をして(?)「高知家」などと宣伝をし始めたとき、「天皇の赤子」という言葉が浮かんで「うへ~」と気色悪かったが、高知家は家出自由で、最も有名な家出人は坂本龍馬だと思えば「高知家」でもいいかと思い直したことだった。その家出人第何号かの合田佐和子展を楽しみに前売り券まで買っていたのだが、面白かったけれどあまり好きではないことを再確認するに終わった。

ちょっと好きかなと思ったのは、ポラロイド写真、スケルトン・ボックスあたりだ。楽しそうな感じがしたのだ。それで言えば、焼け跡で拾い集めたもので色んなオブジェを作った作品も楽しいはずなのに、それはあまり好きではなかった。なんか複雑に組み合わされているように見えたからだろうか。平たく言えばゴチャゴチャしすぎ(^_^;。
写真を元に描かれた退廃的と言われる絵も幽霊みたいだし、「レンズ効果」と言われる絵も甘めのフォーカスが何だかモヤモヤするし、映画や演劇のポスターの原画はタイトル文字などが入ったポスターの方がイイし、ワニタマゴヘビタマゴなどは好きになっても良さそうなのにもう少しとぼけてくれないとなぁと感じた。要するに合わないのだろう。
ただ、戦後から表現の自由が爆発した60年代、70年代、80年代に最先端の美術家でいられたことはスゴいことのように思う。利き手でない手で描くなど、そんな凡人のようなことをしなくてもと思ったりもしたが、行き詰まりのようなときがあったのだろうか。ノイローゼみたいになっちゃったのかな。どこからともなく聞こえてきた「レンズ効果」という言葉に新たな表現を見つけるとは、やっぱり芸術家だと思ったり。

けっきょく、この人は眼を描いていたように思う。焼け跡からレンズ効果までオブジェも含めて眼を描いている。若いときに描いた眼は力があり恐いくらいだ。レンズ効果のバラの花なんかも眼だと思うが、かなりやわらかくなっている。年を取ると重力に逆らえず垂れ目になったり、眼の周りの筋肉も弱くなり目に力が入らなくなる。精神的にも丸くなるからだろうか。絵の眼もそんな感じに変化しているように思った。

角田和夫 土佐深夜日記-うつせみ

ちょうど10才年上の人だ。世界的にも評価され、たくさん作品があるそうだが、当地で撮影したものの中から選んで展示されていた。

1984-86年頃の「満月の夜」・・・・夜の畑とか公園とか赤外線カメラで撮影できる範囲が、灯りもなく誰もいないから見ていて寂しい。けれども不思議と落ち着くような感じがした。

1984-90年の「土佐深夜日記」・・・・赤外線カメラの眼は、ふくらはぎの静脈をこんな風に見ているのかと驚く。ゲイバーでパフォーマンスをする人やお客さんを撮っているので賑やかな感じがしてもよさそうだけれど、なんかやっぱり寂しそうな感じ。でも冷たくはなくて柔らかな感じ。暗がりにぽつんと置かれたブランデーグラスのとろみ感みたいな。バーで働いていた叔父さんが亡くなったとわかる写真のところで、思わず落涙。これまでの叔父さんの写真や、お通夜に集まった人の靴を写したところ、小さな住まいなどが物語ることが迫ってきた。この個展は叔父さんの供養になっているなぁ。

2020-22年の「続土佐深夜日記」・・・・新型コロナ禍の深夜、閑散とした写真はわずか。新型コロナ禍でも人々は飲んでますなぁ。人の顔のアップが多いと思った。街のパワーダウンは感じるものの、人は40年近く前とあんまり変わらんなーと思ってしまった。

当地ゆかりの作家を紹介する趣旨の企画「アーティスト・フォーカス」の第3回。好みではなかったけれど、独特の妙な感じのする写真で(思えば「うつせみ」という個展のタイトルがピッタリだ)見ていて疲れなかったので良いものだと思う。人(ワタシ)を疲れさせるのはアート作品として一級品とは言えないというのが最近の私の良い悪いの基準になっている。第1回、第2回とカタログも作成されたので、今回も作ってくれるでしょう。今から楽しみ。

門田修充展 不穏と不遜の交叉する無自覚な日常

とても面白い立体作品。クラゲとか巨大な虫とか甲冑みたいなのとか、ワクワクする。県展無鑑査の人だという。素材はアルミなのかな?ブリキより軽そうな印象。クラゲの団体は宇宙人のようにも思えたけれど、楽しくて不穏な感じは受けなかった。

(2022/11/22 高知県立美術館)

我的今年漢字と肉筆は面白いね!

こんにちは~。今年の漢字は「戦」だとか。私も今年の漢字を書きました。

毛筆で書いた還暦の「還」の字の画像

やはり、壬(みずのえ)の寅は60年に一度しかないことなので還暦の「還」にしました。
旧暦であれば私は丑年なのですが、誕生日はずっと新暦で認識してきたことだし、弟にはトラみたいに恐いと思われていたことだし(笑)。
画像がもんもんになっていますが、紙のシワを伸ばさないままスキャンしたためです。

書道教室2年生となった今年も古典の臨書を続けていますが、実感するのは肉筆の面白さです。昨年は「張猛龍碑」、今年は「九成宮醴泉銘」を習い、他にもチラホラ法帖をながめていると「陽」という字が好きになりました。それで四つの古典から「陽」の字を臨書したのが次の画像です。

これをお読みの方にも画像を見ながら、ちょっと指で書いてみてほしいのですが、こざと偏の次の「日」の第1画を書くと、えらく空間があるのに気づきます。こんなに離れたところに「日」を書いて大丈夫か????と不安になるのですが、手本のとおり書いていくと不思議とバランスが取れた字になります。
そんなふうに古典を習っていると「この画をここにこう書くか!?」という驚きの連続で笑いが止まりません。それほど皆さん、個性的です。

千年以上も前の人でも肉筆というのは色々と伝わってくるものがあります。あの有名な顔真卿。次の四つの画像の最後が顔真卿が書いた「多宝塔碑」ですが、この調子でページが埋め尽くされているんですよ;;;。スゴい圧を感じます。言っちゃ何ですが、決して美しいとは言い難く、私は臨書はパスと思いました。しかし、ながめていると剛直で情けに篤く、手なんかも分厚いんじゃないかなと思えてきます。止めのところなんか筆をねじ込んだようにしてあるのを見ると、「やりすぎな人・・・(^_^;」とも思います。エピソードも色々あるので、文字からどんな人か想像したうえで検索してみると面白いと思います。

パソコンなどのIT機器類が普及して文字を書くことが減ったのは残念です。私も今年書いた手紙は何通かしらん。人が本を読んだり字を書いたりしなくなることはないとは思うけれどねぇ。

いの町紙の博物館で

孤高の拓本家 井上拓歩展
拓本の画像
展示されていたオリジナルの拓本は数が少なかったけれど、磨崖だからとても大きくて(もっと大きいものもあるそうだ)見応えがあった。こんな大きなものをどうやって摺るのだろうと思ったら、ちゃんとその様子を展示してある写真で見ることが出来たり。拓歩老師は亡くなっているので、お弟子さんが会場に控えておられて色々と説明してくださってありがたかった。老師は多趣味で自己流で掛け軸なども制作されていたそうで、作り方を教えてもらったお弟子さんの作品もあり、素朴で素敵な掛け軸で欲しくなったほどだ。麻布を染めて作るそうでお弟子さんのお弟子さんも楽しいと言っているそうだ。それにしても、没後10年記念にお弟子さんにこのように展覧会を開いてもらえるなんて誠に善いことだ。
帰宅して検索すると県内の石碑の拓本を書籍化したものが古本屋あり、前々からあちこちの石碑を見るたびに(安政とか古いのもあるのだ)「読めたらなぁ」と思っていたこともあり、欲しくなったけど場所をとるからなぁ。

高橋雨香展
三階の会場までの階段にも作品が展示してあって、上っていくときワクワクした。「ムンク」や「ゴジラ」や「ビートルズ」など全体的に遊び心があって楽しかった。また、毛筆で紙やTシャツなどに書いたものをオリジナル作品としたら、文字型に作った金属(?)や文字を織り込んだ着物や、書を印刷したもので作った十二支サイコロなど、書の二次作品というかアート作品もあって、色んな方向に展開していっているのを見てアクティブな人だと思った。

池田智佐 絵画展
線画。楽しい絵だった。カラーよりモノトーンがいいと思った。

常設展 伊藤神谷コーナー
三年前に見たときは何とも思わなかったが、書道教室2年生となった今見てみると、とても味わい深い書だと思った。
また、神谷老師のことばがパネルで掲示されていて感動した。うろ覚えだけど意味は次のとおり。
「書を専門とする人だけでなく、趣味で書く人やわからないと言う人はもとより、嫌いな人にまで親しんでもらい、そういう人たちが住むところが日本だというふうにならなければいけない。」
これが実現したら、日本(に住む人)が戦争をすることはないだろう。
(2022/10/07)