福富太郎の眼

感想を書く時機を逸してしまったが、よかったのでやはり書いておこう。
個人のコレクションをこうして披露してくれるのは本当にありがたい。「妖魚」(鏑木清方)なんて何とも惹きつけられる作品を作者は失敗作と言っていたとはビックリ。批判された作品だそうで時代が作者にそう言わせたのだろうか。それを福富さんは評価してコレクトしているのだから、時代に囚われない眼を持っていたということなのだろう。
福富さんの勉強ぶりや作家との遣り取りの様子も解説されていて、思い出したのは小夏の映画会の田辺さんだ。映画監督などと交流し、直にフィルムを借りて自主上映することもあったと聴いていた。思いがけないところで田辺さんを偲ぶこととなったのだが、福富さんや田辺さん(や山田五郎さん)のような人が作家及び作品と私たちを繋いでくれるのだなあと改めて思った。でもって、福富さんが作品を評した言葉が温かくよかったので、著作も読んでみたいと思った。

鏑木清方では「京橋・金沢亭」が意外に好きだった。落語を聴きに来た人たちの様子をスナップ写真のように捉えた作品で味わい深い。ちょっと欲しいと思った。

「軍人の妻」(満谷国四郎)なんて、実物を見れるとは。印刷物では背景と喪服の境がわかりやすいのだが、実物は下の方のシャープな白い線がひるがえった衽(おくみ)であることに気づいてから喪服が浮かび上がった。涙の方は印刷物ではよくわからず、実物で初めて気がついた。

「お夏狂乱」は池田輝方と鳥居言人の二作品あった。池田の方は菊の着物に柳の襦袢で呆けた感じ、鳥居の方は百合の着物にしだれ柳の襦袢で凄みのある感じ。いずれも着乱れて背景は秋だ。凄みのある方がドラマチックで訴えかけるものがあると思ったり、呆けた方が真実味があるかもと思ったり。

萩の庭で猫を抱いた女性が見つめる先には蝶。「秋苑」(池田蕉園)で何を見ているかわかったときは嬉しかった。

「道行」(北野恒富)、綺麗、カッコイイ、好き♥。

着物っていいな。季節感があるし模様を見ていても飽きない。木綿や絹の質感の描き分けは流石プロの絵描きさん。
(2022/02/14 高知県立美術館)

平川恒太 Cemetery 祈りのケイショウ

大変よかった、アーティスト・フォーカス#02。
高知ゆかりの作家を県民に紹介し、作家の応援にもなる、一企画で二度美味しい。ぜひ、今後も続けてほしい。

作品の前に作家が虫食い式の試験問題みたいに一部を伏せ字にした短い文を掲示していた。この伏せ字にはもちろん作家の思う言葉があり、試験問題ならそれが正解と言うべきものだろうが、悪しき歴史を繰り返し、未知の言葉がそこに入るかもしれないという思いもあるだろうし、鑑賞者銘々の思いもあるので、正解がない謎解きとも言える。そして、この謎解きはミステリー小説が苦手な者にも楽しいものだった。
という思いになったのは、最初の作品「The Bells 広島」「The Bells 長崎」の解説を読んでからだった。文字盤に黒い絵が描かれた柱時計と別の箱の中の大きなネジを見ただけではサッパリわからなかったのだが、解説を読んでそういう見方をしていけばいいのかと眼からうろこが取れたのだ。そこから後は、自分なりの謎解きが解説と異なっていようと謎が解けないままであろうと面白くなった。「Black Square」は、「Black Squareのためのドローイング」を見なくても日の丸とわかって嬉しかったし、ドローイングの方はSFみたいで面白かった。おしまいの方では、これがコンセプチュアル・アートというものかと閃いて、初めて接したように感じた。

ほぼ一筆書きのように鑑賞していける展示の仕方もありがたかったが、圧巻は一番奥の区画全体だ。
黒い箱のうえにモービルが揺れている。そのまわりをバババーーーンと真っ黒な絵が取り囲み、区画に踏み込んで振り返った左右の壁には宇宙が広がっている。

壁の宇宙はモービルも込みで「何光年も旅した星々の光は私たちの記憶を繋ぎ星座を描く 夏の大三角」「何光年も旅した星々の光は私たちの記憶を繋ぎ星座を描く 冬の大三角」という作品。私はこの作品が一番好きだ。宇宙の星々は戦争で亡くなっていった人たちのように思える。星の素材となっている従軍記章はネットのヤフオクなどで購入したものらしく、その領収書みたいなものも貼り付けてあって金額が一つ千円もしたりしなかったり。出品者を想像したり、金額などから複雑な思いに駆られる。そういうことも含めて二つの大三角とモービルは独特の美しさがあると思った。

三方の壁の真っ黒な絵は、すべて第二次世界大戦中に「作戦記録画」として陸海軍の委嘱で制作された戦争画を引用した作品とのこと。普段、「あ~、○○が描かれている」とザッと見て終わる絵画も、真っ黒だといったい何が描かれているのか舐めるように観ていくことになる。軍人ではなさそうな人たち?おんな子どもも?自決しているところ?黒い画面に虹色のラメがキラキラして人々が星になったと言っている?そう思うと涙が出そうになる。「Trinitite サイパン島同胞臣節を全うす」だった。
虹色のラメが輝く真っ黒な絵は、その他に「Trinitite 山下、パーシバル両司令官会見図」と「Trinitite シンガポール最後の日(ブギ・テマ高地)」。「Trinitite 十二月八日の租界進駐」「Trinitite 渡洋爆撃」はあまり虹色感はなかった。解説書によると、Trinitite(トリニタイト)は、人類初の核実験(1945年7月16日実施でコードネーム「トリニティ」)で生成された人工鉱物で軽度の放射性物質とのこと。「ラメ=星」?「ラメ=トリニタイト=戦争画=遺物」?
この区画の中心にあった黒い箱は「BLACK SUN BOX」という作品で、レッドサン(日の丸)の黒歴史の核という感じ。

会場は作品の素材となった時計の音(?)がしていて、「現在、過去、未来」の「現在」という「時」を感じさせられた。
ケイショウは「警鐘」「形象」「継承」とのこと。

「死の島(広島)」「死の島(長崎)」「死の島(第五福竜丸)」「死の島(福島)」の4作品は、絵としてはぺらっとした感じなのだが、やはり段々に絵の世界が暗くなっていく内容がよいと思う。4作品いっしょにタグチ・アートコレクションが所有しているようで、よかった。
(2022/01/31 2022/02/14 高知県立美術館)

令和4年 第10回県展書道 無鑑査展と高橋雨香展

令和4年 第10回県展書道 無鑑査展

とても面白かった。
無鑑査の方々は10名で、それぞれ2作品から4作品を出品している。全部で28作品だからじっくり見ても1時間くらい。複数作品の出品だから個性を発揮しながらも同じ人の異なる雰囲気の作品を見れる。漢字、かな、漢字かな交じり、漢字の書体も色々でバラエティに富んでいる。嬉しいのは頂いた目録を片手に作品の字が読める~!目録の活字と作品の文字を見比べて「ははぁ」とわかってくるし、漢詩の読み下し文なんかありがたかった。無料でいいの!?という感じ。また来年も行こう。
(2022/01/07 高新画廊)

高橋雨香展

美術館のカフェに入ったら個展をやっていた。しかも、最終日。よいものが見れてよかった。
篆書が多く、奥の方に今年の干支の寅があって、12月に書いていたので読めて嬉しかった。雨香さんの寅はすごく可愛らしい寅だった。また、壁一面の大作には驚いた。入り口から小品が並んでいて角を曲がると大きめの「寅」と大作「飛龍」(?)が目に飛び込んでくる。ふと目を転じた窓から見える池にはヨットが浮かんでいて、その帆にも一文字の篆書。企画・製作力に感服した。また、「トンパ経典」のトンパ文字は初めて見聞きしたもので大変興味深かった。
カフェでの個展は、よいめぐり逢いの機会だ。でも、他のお客さんが座っているところの作品は遠慮があって見にくい。機会があったらまた見たいと思い、記名してきた。
(2022/01/31 高知県立美術館のマルクカフェ)

書の道 一日一歩

9月 噛み合わせ

お師匠様が「切るように(斬るように)書きなさい」と言われる。それがどういうことか、わかってきた気がする。揮毫パフォーマンス(テレビ)で紙に筆をぐりぐりとめり込ませるようにしているのを見たことがあるが、半紙に書くときもあれが必要なのだと思う。筆を半紙に沈めるというか、紙と筆先の摩擦の加減が絶妙で筆と紙が噛み合っている状態で書くと強い点画になる。長い縦画は、おおかた真っ直ぐ書けないが、筆と紙が噛み合えばどこまでも真っ直ぐな線を引ける。

摩擦の加減は、紙と墨によって違ってくる。ザラザラした紙は、墨がすぐに染みて噛み合いやすい。ツルツルした紙は、墨がある程度まで紙に染みるのを待って噛み合わせる。墨の濃度や分量も影響してくる。(夏は蒸発が激しくて硯の墨がどろどろになる。お師匠様に言われるまで水で薄めるという発想がなかった(涙)。夏の紙は湿気があるそうだが、あまり感じない。冬になると紙の乾燥を感じるかもしれない。楽しみだ。)
噛み合わせ具合は筆によっても異なるのかもしれないが、今のところあまり感じない。
新型コロナのまん坊(まん延防止等重点措置)の影響で教室はお休み。自主トレに励む。

7月 書きたいことがある

8月末締めきりの昇級試験を受けることになり、同じ文言の楷書、行書、草書の計三枚の半紙を提出すべしで稽古に励んだが、書いている文言の意味がわからない。お師匠様もわからないとのことで、どうして会報のお手本に意味を書いておいてくれないのだろうと思いつつ、自分で調べもしなかった。あまり気持ちのよろしくないことだ。

臨書用に買った本には、巻末に訳があったり、訳はなくてもページの端に読み下し文があったりで、ふむふむと思いながら稽古をしている。書いてあることの意味は大切でしょう。展覧会などで文字自体が読めなくてイラっとしたり、読めても中国語だから意味がわからず詰まらなかったりの経験を積んでいると、書より絵の方が断然面白いと思ってしまう。それでも言葉は最大の発明で最高の道具だと思ってきたので、私におあつらえ向きの趣味だと気がつき入門して本当に良かったと思った。そして、書きたい言葉があることにも気づいた。今はそれをどう書くのかイメージできないけれど、いろんな書に触れるうちにイメージも出来てくるだろう。

6月 臨書

5月 バネ

筆にバネがあることを知った。起筆でバネを生かす。収筆も次画の起筆へ向けてバネを生かす。筆の腹ばかり使うとバネが生かせない。穂先をS字型に曲げるとジャンプできる。

4月 入門

書道教室に通い始めた。月3回の全集中。帰りはスッキリ。スポーツをした後のようだ。
「永」の字が書けるようになった。2画目のハネが、ようよう出来た(ToT)。