バーバラと心の巨人

『怪物はささやく』の男の子は、死期が迫る母に生きていてほしいのに、死んでもらって重苦しい現状から脱したい気持ちもあり、その罪悪感に蓋をして苦しんでいた。怪物は、それって自然な気持ちだよー、罪じゃないよー、吐き出しちゃいなよと教えてくれる存在だった。
『バーバラと心の巨人』はタイトルでネタを割っているため、主人公にしか見えない巨人って「もしかして心の病?何が原因で?」「いやいや、壊れそう~;;。」という興味で観ていくことになり、ファンタジー度は低くなっている。原題は“I KILL GIANTS”。

バーバラ(マディソン・ウルフ)は、言葉のパンチが効いていて期待していたよりも作品を面白くしてくれた。言葉を自在に操れるだけでなく、美術の才能がずば抜けている。更に運動能力も抜群。一人で巨人用の大がかりな罠を仕掛けたりできるし、カウンセリングのモル先生(ゾーイ・サルダナ)が追いかけていたけど、断然、バーバラの方が速い。

結局、バーバラは心の病ではなく、母の病気を受け入れられずに苦しんでいたことがわかる。病気の母に近づくのが怖いため、恐怖心(巨人)と闘っていたのだろうし、イマジナリー・バトルに逃避していたとも言える。こういう恐怖やそれに耐えるためのお守りや呪文は、よくわかる世界だ。(大人になったら呪文は不要かと思ったら、アンガーマネージメントとかで必要になった。)

母が亡くなって、見舞いに来た巨人にバーバラが言う。「大丈夫。本当は強いのよ。」
でしょうねー、あのバーバラだもんねぇと思うと同時に、くじけそうになっている子どもたちへのエールにも思えた。「本当は強い」を呪文に生き抜いてほしいという作り手の声が聞こえたので、なかなかよい作品ではないのと思った。

一番可哀相だと思ったのは、働きながら妹や弟の面倒をみていたカレン(イモージェン・プーツ)。
アメリカの北東海岸が舞台かなと思ったら、ニュージャージー州でビンゴ(^_^)。
(2020/08/03 あたご劇場)

私のちいさなお葬式

母は息子のためを思い、付き合っていた彼女とは別れさせ、飲んだくれと年寄りばかりの田舎から都会の学校へと進学させた。
息子は老いた母のためを思い、老人保護施設に入れようとした。
二人は都会と田舎に別れて暮らし、特に息子は仕事が多忙でなかなか意思疎通ができなかったが、ふるさとの湖の鯉のお陰でゆっくりできて、息子は母といっしょに暮らすことにした。めでたし、めでたし。
成功しても「忙しい」=心を亡くすことの哀しさを、ふるさとで自然に囲まれ人と繋がることの豊かさを、寓話的に描いた心温まる作品だ。

ロシアは社会主義をやめたんだね。資本主義がより進んで規制をとっぱらった新自由主義の国で暮らす私たちと、ほとんど同じ暮らしぶり。成功した息子はドイツ車に乗っているし、若者はインスタ映えする写真を撮りたがるし、メル・ギブソンがおばちゃんのアイドルだし、ホームレスも存在するし、他にもあったかも。

一番おどろいたのは、生前葬と思っていたら本当に死ぬつもりでお葬式の準備をしていたこと。息子が帰ってきたから、もうこれで寂しくない。息子のためと思って本心を言わなかったのだと思う。いっしょに暮らせるなら死ぬこともないでしょう。

ロシアは意外と木造住宅なんだなぁ。シベリヤなんか大きい木があったのだろう、築百年を超える3階建て以上の集合住宅もあるようだ。
帰宅途上では「恋のバカンス」のハミング。
(2020/07/31 あたご劇場)

下女

ははははは!何か変だ、可笑しい(^m^)と思っていたら、そういうわけだったのか。
いろいろ過剰だしねぇ。特にエロ描写が素晴らしく、女性が皆、色気虫(笑)。そこがまたツッコミどころで、女工の中に一人の男性音楽教師とはいえ、妻にばかりか、なぜ、こうもモテて身体を求められるのか(それほどの男性に見えないが、やっぱりピアノが弾けるのがポイントか)と思っていたら、願望八分にに自他戒二分だった。受けた~(^Q^)。男性深層心理を描いた作品として、すっきり気持ちよく見終わった。この種明かしがなかったら、「歴代韓国映画ベストワン????」と思ったままだった。次から次へと色々起こってお化け屋敷みたいなんだけど、21世紀に生きる者としては少し物足りない。「下女、死んでたまるか、もっとやったれい!」という感じだからして。『虫女』(1972)、『火女’82』(1982)と2回もセルフリメイクしているそうだから、どんどんヴァージョンアップしているかもしれない。続けて観たいものだが叶わない(残念)。

男性深層心理と一般化しては、いけない。この主人公は積極的に家を持ちたかったわけじゃないみたい。それが妻の「私が家を望んだばかりに」というセリフに現れていると思う。稼ぐことが若干重荷になっているのかもね。また、長男(アン・ソンギ)には手を焼いているのかも。

それにしても、登場人物がたくましい。へなちょこは主人公だけ。子どもは守られるべき弱い存在ではない。足の不自由な長女も弟への応酬ぶりを見ていたら立派に生きていけるにちがいない。妻は言うに及ばず。下女は寄る辺ない身の上で住む家もないのに未婚の母となりかけてメロドラマができそうなのに、絶対メロにはならない。なぜ、ここまで皆たくましいのか?

その他いろいろ。
子どものあやとり糸から工場の糸へ場面転換も鮮やか~。愛人関係になったら、落雷、木割れ~。階上へ運ぶときのコップのアップは、確かにヒッチコックを彷彿させられる。降ればどしゃ降り。音楽も効果音も笑えるくらい盛り上げる。私にはわからなかったけど、きっとこのエンタメ作品にも象徴性が潜んでいて傑作中の傑作と言われるのだろうな。チラシに“ブルジョワ”とあったけど、資産家という意味ではなかった。でも、英語、仏語を使う家族はブルジョワっぽいかな。

石坂健次氏(日本映画大学映画学部長)の講演(コロナ禍により映像)も拝聴。この映画を見た後は講演で紹介された「下女ハウス」が欲しくなる(笑)。←韓国で発売されている紙製の模型で、簡単に『下女』の舞台となった家を組み立てれる。
主人公が階段で下女の首を絞めるシーンをパラパラ漫画のように見れる「パラパラ下女」もよいアイデア。
キム・ギヨンは、お医者さんでもあったそうな。火事で亡くなったとのこと。
金綺泳筆の座右の銘「好きな事を一生懸命やる」、しごく普通。
(2020/07/26 高知県立美術館キム・ギヨン監督特集 同ホール)

WAVES ウエイヴズ

あれこれ考えさせられる良いタイトルだ。感情は押し寄せる波、試練は乗り越えられる波。人生山あり谷あり、浮き沈みの波。わたしは愛憎の波を強く感じさせられた。

主な登場人物は、タイラー(ケルヴィン・ハリソン・Jr)、エイミー(テイラー・ラッセル)の兄妹とその父(スターリング・K・ブラウン)、母(レネー・エリス・ゴールズベリー)のウイリアムズ一家と、タイラーのガールフレンド、アレクシス(アレクサ・デミー)とエイミーのボーイフレンド、ルーク(ルーカス・ヘッジズ)の6人だけ。
ついこの間まで蜜月状態の二人が罵り合ったり(タイラーとアレクシス)、血縁の父より気のおけない存在だった継母を頭に血が上って罵倒したり(タイラー)、息子への期待が大きく支配的な夫をよくフォローしていた妻が事件を機に夫を拒絶したり。愛が憎に翻る。
エイミーは、タイラーがどん底のとき、何も聴かず優しく抱きしめていた。しかし、事件後、父に「兄が憎い」と感情を爆発させる。父が弱みを見せてくれたから彼女も本当の気持ちを吐き出すことができたのだと思う。ここでも兄への愛が憎しみに変わっているが、その後、彼女は憎しみから愛へと戻ることができた。そして、崩壊するかに見えたウィリアムズ一家は、エイミーの願いで再生できそうな感じだ。愛のパワー。

エイミーが愛する気持ちを取りもどせたのはボーイフレンドのお陰だ。
ルークは、アル中でDVの父と別れたまま長年憎んでいたが、ガンで余命いくばくもない父と再会し、優しく看取った。その様子を傍で見ていて、エイミーも兄に対する優しい気持ちが蘇ったのだ。愛の伝播。(憎い父とは会いたくないと言うルークに、会うべきだと再会を促したエイミーの思慮深さを持ってすれば、兄に対する気持ちの整理もいずれは出来たかもしれないが。)

人は、愛→憎→愛、そしてまた憎と感情の高ぶりを繰り返すのかもしれない。でも、牧師さんが2回も出てきて唱えるように愛こそすべてだ。愛に戻れるように、愛で安定するようにという作品だと受けとめた。

それにしても、肩を壊して痛み止めを飲み続けるタイラーにはハラハラさせられた。オーバードーズ(婉曲的自殺)になりはしないかと。そしたら、まあ!

印象深いところ。
タイラー、絶好調のぐるぐる回るシーン。
水底のエイミー、ブルーのシーン。
父のギラギラした目。
アレクシスが逝く人、エイミーが来る人として捉えられたファーストカットとラストカットの自転車こぎ。
(2020/07/15 TOHOシネマズ高知2)