灼熱の魂

物語のパワーが凄い。
母が事実を知りながら、そんなむごい遺言をするものだろうかと疑問に思った。それについては、生き別れの息子に愛を伝えたかったというポジティブな答えを考えてみたが、あのような遺言は現実的ではないような気がする。しかし、焼け焦げた魂からの遺言を、のほほんと暮らすこちらの尺度で測っても意味がないように思う。それより、私の“のほほん”フィールドと地続きな世界から抽出された「現実」を紡いで、こんな物語ができるとは!圧倒されたし、恐れ入った。

ナワル・マルワン(ルブナ・アザバル)の身に降りかかった災いは、いったい何人分?というくらい過酷にすぎる。考えてみれば『エレニの旅』のエレニのようにおとなしく生きていても、人間、とんでもない目に遭うのだ。ナワルのように異教徒と恋に落ち、内戦勃発のさなか息子を捜して危険地帯へ行き、要人暗殺にまで関わってしまう行動派は、災厄を被る確率がより高くなるのかもしれない。いずれにしても社会の状況が個人の幸不幸にこれほど深く食い込み、魂を打ち砕くのを目の当たりにするのは映画であっても凹んでしまう。

遺言が果たせて、ナワルの子どもたちジャンヌ(メリッサ・デゾルモー=プーラン)とシモン(マキシム・ゴーデット)は、母のことが理解できてよかったと思う。自分たちの出生について事実を知った衝撃よりも、母との距離が縮まった収穫の方が大きい。生きているうちにそれが出来たらよかったとは思うけれど、生きているうちはなかなか話せることではないだろうし、話して良い方に転がるかどうかわかったものでもない。

それにしても、「約束」っていうのは、ある種の枷だと思う。ナワルが生き別れの息子に約束したこと(ナワル自身の誓い)も、ジャンヌが遺言を果たそうとするのも、愛があるからだ。愛に基づく約束とか誓いって果たさなかったり果たせなかったりすると、(愛がある限り)胸につかえることだろう。そういう意味では、この映画はハッピーエンディングといえると思う。枷から開放されて、めでたし。シモンもいくらか大人になって、めでたしめでたし。

おしまいに。『戦場でワルツを』を観ていてよかったと思った。もし、観てなかったら、ジャンヌはカナダからどこの国に行ったんだ???とわからないままだった。

公証人ルベル(レミー・ジラール)

INCENDIES
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
(こうちコミュニティシネマ 2012/05/29 高知県立美術館ホール)

予告編『グスコーブドリの伝記』

グスコーブドリの伝記今朝、小栗旬くんと居酒屋ディナーする夢を見た。まっこと、えい夢やった。その旬くんが主役の声を担当するアニメ『グスコーブドリの伝記』のポスターを映画館で発見し、もう嬉しくて堪らない。私のオールタイム日本映画ベストワンは『銀河鉄道の夜』なのだ。そのスタッフが再び結集して『グスコーブドリの伝記』を作ったということで、(聞いてはいたけれど)やはりポスターを目にすると胸の高鳴りを覚えた。

公式サイトにも行ってみた。音楽は細野さんじゃなくて正直なところ残念と思ってしまったが、ガラッと雰囲気が変わってイイかもしれないと思い直した。イーハトーブの自然や町並みなどの絵が美しい!飛行船やなんか、ワクワクする~。旬くんも少年の声だ!しかも公開日が七夕とは、星が好きな宮沢賢治にふさわしいではないか。う~む、これを観るまでは死ねない。

公式サイト
映画『グスコーブドリの伝記』

<追記>
そうそう、プロダクションノートで杉井ギサブロー監督が言っていたが、宮沢賢治には色んな面があるので三作品作りたいと思っているそうだ。『銀河鉄道の夜』は文学性、『グスコーブドリの伝記』は自然の声を聞いたりするような幻想性、あと、もう一作はユーモラスな面を取り出したいとのこと。それなら、三作目はオムニバス形式なんてどうだろう。賢治作品はあまり読んだことないので、いっぱい観れると嬉しいし、オムニバスに共通の登場人物やなにかのフックを作っておくと、より楽しめそうだ。

おとなのけんか

おもしろかった。一幕の舞台劇っぽい作品だった。
ペネロペ(ジョディ・フォスター)とマイケル(ジョン・C・ライリー)のロングストリート家、ナンシー(ケイト・ウィンスレット)とアラン(クリストフ・ヴァルツ)のカウアン家の二組の夫婦が、子ども同士のけんかの後始末のために集まって話し合ううちに、おとなのけんかに発展していくというお話。
はじめは「ロングストリート組」対「カウアン組」で反目していたのが、「妻組」対「夫組」になっていったり。共同体というのは色んな組み合わせが効くものだ。また、夫妻のどちらかに協調性がないと、残る一方がイヤでも協調性を発揮しなければならなくなるというのは、往々にして見かける様子であり、お守り役のお二人さんにはお疲れさまと言いたい(?)。

今、調べたら原題は「大虐殺」とのこと(^o^)。
そういえば、始まりのタイトルバックで、いたってのどかな公園を背景に、何か事が起こりそうな(勇ましげな、大事のような)音楽に乗って、出演者やスタッフの名前が画面の奥からズンズンと手前にやってくる。そうか、あの音楽は「これから殺戮が始まるよ」ということだったのか(笑)。
クレジットの背景で子どもがケンカ別れするプロローグから、即、親同士の示談が成立した場面に移行するなど演出の手際もよろしく、双方のちょっとした言葉が気に障り不穏な空気を漂わせる役者の演技も可笑しい。
エピローグは、またしてもあの勇ましい音楽で、のどかな公園を背景に子どもは既に仲直りしていっしょに遊んでいる。いったいあの修羅場はなんだったのか(笑)。子供のケンカに親が出るなというのは、洋の東西を問わない不文律だったのか(?)。

それにしてもセリフの上とはいえ、ジェーン・フォンダが登場するとは。先日、カンヌ国際映画祭のレッドカーペットで若々しくも華やいだ姿を見ることが出来て、流石だと感心したばかりなので、劇中のアランの「J・フォンダのような戦闘的な女性より、バーバレラのようなエロティックな女性が魅力」みたいなセリフを聴くと(←ぜんぜん、そんな風には言ってないけど、そんな風に翻案して聴いたせいか)、ポランスキーはJ・フォンダと仲良しなのかしらんと想像したりして独り可笑しかった。
ジョディ・フォスターに関しては、ナンダカかなしひ。子どもの頃は、もっと大らかだったよねぇ。役柄とはいえ、ちょっと神経質すぎて笑えない(涙)。鎧甲を脱いでガハガハ笑う彼女をもう観ることはできないのだろうか。

CARNAGE
監督:ロマン・ポランスキー
(2012/05/26 TOHOシネマズ高知3)

ペーパーバード 幸せは翼にのって

妻子を空襲で亡くしたホルヘ(イマノール・アリアス)の嘆きの場面、あるいは暴行を受けて帰ってきたエンリケ(ルイス・オマール)にホルヘがありったけの優しさを見せる(エンリケの髭を当たる)場面、はたまた極めつきは撃たれたホルヘを呼ぶミゲル(ロジェール・プリンセプ)たちにペーパーバードが舞う場面など、今や古くなったと思しき音楽と一体となった劇的な演出が全くイヤミにならず、スペインの内戦の頃を振り返る昔の色合いにピタリと嵌り、しかも旅芸人の歌と踊りとで楽しませてくれて、笑えるところもあり、とてもよかった。(子どもには盗むなと厳格にしつけるが、背に腹は代えられないという状況下、二人の大人が懐や帽子からジャガイモを取り出すところが哀しくも可笑しい。また、芸人を辞めて、やもめ村長に嫁ぐと決めた女性のエピソードも可笑しくて、やがて哀しい。)

ホルヘが総統批判の歌を歌ったとき、水を打ったように静まりかえる客席だったが、それからウン十年。老いたミゲルが同じ歌を歌うと客席が沸く。独裁政権下とは隔世の感である。スペインのことなどあまり知らない私でも隔世の感を味わえるということは、スペインの若者もそうなんだろう。映画は、こうやって、自由にものが言える喜びを伝えて行けるのだなぁ。

PAJAROS DE PAPEL
PAPER BIRDS
監督:エミリオ・アラゴン
(シネマ・サンライズ 2012/05/24 高知県立美術館ホール)