レベッカ

ビデオかなんかで観て、イマイチだった『レベッカ』。やっぱり映画は映画館で観るべし。面白かった!話をすっかり忘れていたので初見といっしょ(笑)。そして、帰ってビックリ、1940年の作品だとは!今観ても古くない。それに俳優さんが綺麗。今の映画の作り手さんにお願い。男優も女優も綺麗に撮ってください。映画館で、シミ、シワ、ソバカスを見て、我に返りたくありません。
・・・はっヾ( ̄0 ̄;ノ。我に返って『レベッカ』の感想。
ダンヴァース夫人(ジュディス・アンダーソン)てマクシム・ド・ウィンター(ローレンス・オリヴィエ)のことが好きだったの?身分違いで望みなしの恋だから、主のレベッカに自己投影して肩を持つというわけか。その他、いろいろと英国の階級社会あってこその映画だった。アカデミーの会員もそこのところを面白がっての作品賞授賞だろうか。
マクシムがマリアン(ジョーン・フォンテイン)に「無垢からくる可憐さが消えてしまった」というところ、マクシムの気持ちがわかる。彼にはいずれ消えるとわかっていたのだ。消えないとそれなりに困るものだし、持ちつ持たれつの対等な関係の方が楽だし味わい深い。でも、純粋に美しいときを少しでも長く見ていたいと思っていたのだろうな。年の差カップルのイイ感じがよく伝わってきた。
真相を明かすのは、長いセリフでだった。説明的にならないのは役者の力だろうか。
それにしても、スタンダードサイズの映画をビスタサイズ(?)のスクリーンで見せられるとは。TOHOシネマズ高知って、スタンダードに対応してなかったっけ???今の監督でもスタンダードで撮るかもしれないよ。ソフィア・コッポラとか撮らないかなぁ?
REBECCA 監督:アルフレッド・ヒッチコック
(2011/06/11 TOHOシネマズ高知8)

盟三五大切 かみかけてさんごたいせつ

芸者小万、実はお六を演じた菊之助が素晴らしい!夫の三五郎、実は千太郎(中村勘太郎)と組んで、源五兵衛、実は数右衛門(中村橋之助)から百両をだまし取る。源五兵衛が惚れるのも無理はない美しさ色っぽさ。あでやかにその場を仕切って、すりゃ、皆小万の思いどおりになるわいな。「小万は俺に惚れている」と思わせられては、男としてはのぼせるしかないだろう。悪女と言えば悪女だが、それは故あってのこと。欺されたと知った源五兵衛の復讐を恐れたり、三五郎の女房としてのしっかり者風情などは芸者のときとはガラリと違うが、同一人物の異なる面を観せてもらったという感じでキャラクターに一貫性があった。
残念なのは、勘太郎と橋之助。この二人も欺す・欺されるとき、復讐する・それを逃れるときではガラリと違うのだが、キャラが立つまでには至ってなかったと思う。特に主人公とも言える源五兵衛を演じた橋之助は、仏作って魂入れずみたいな感じだった。初日だったので、今頃はもっとよくなっているかもしれない。(橋之助の子どもが源五兵衛の従者を演じていて、滑舌がよろしくないうえ棒読みっぽかったんだけど、ほんわかとした雰囲気に加え、主人には芸者にうつつを抜かさず義士に加わってほしいという一所懸命さが伝わってきて意外によかった。未完成の仏に魂入れた感じ。)
勘太郎をずっと前に観て、若いのにこなれているなぁと思ったことがあった。今回はお父さんに似てきたなぁと。注文としては、もっと助平になってほしい(笑)。だって、小万の胸をもむ場面、もまれる方はエロティックだったよぉぉぉぉ。そこで鶴屋南北はエロだと聞いていたのを思い出し、三五郎の方に不足を感じたわけだ。
演出は串田和美。
5人切りの場の緊張感には場内水を打ったよう。ギシギシと回り舞台の音だけ。斬るたびにツケの音。あまりの凄惨さに本当に胸が悪くなった。聞きしに勝る南北だ。
下座音楽はよいとして、西洋楽器(チェロかなんか?)が奏でる旋律に気が滅入り、歌舞伎の世界に合ってないと思って観ていたが、小万とその幼子をなぶり殺した後、雨の中を庵まで帰る源五兵衛の場面にこの音楽が重なると、陰々滅々が更に陰々滅々でイイ!ここは客席まで降ってくる雨といい、ある種の美しさがあり、演出のハイライトだ。(しかし、源五兵衛はどういう気持ちで殺したのか、橋之助の演技では私はハッキリとはわからなかった。義士に加わるための百両を騙し取られた恨みか、小万に心底惚れていたためか。ひと思いに殺さないこと、小万が「三五さんの顔が見たい」と言ったあと、夫にそっくりな幼子をかばいに行くのを見て子どもまで殺したことからすると、台本上は恋の恨みが勝るような気がする。この場面で、仁左衛門で観たかったと思ってしまった。)
笑えるところもたくさんあって、笹野高史も可笑しくてよかったんだけど、初めての南北は・・・・・、南北だねぇ;;;;。本当に胸が悪いわ~。しかし、おしまいは5人切りの場を再び使い、死んでいった人も生き残った人も走馬燈の中で楽しげに回っている。なにやら人生やなぁと思ったし、なにより胸のむかつきが取れて行ったのがありがたかった。
(2011/06/06 コクーン歌舞伎)
コクーン歌舞伎「盟三五大切」@シアターコクーン
ガムザッティさんの感想

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喜怒哀楽のようなものは感じなかったけれど、かなり頭を刺激された。
撮影と美術が素晴らしい!いいセリフもあったし、演者の皆さんもとてもよかった。見応えのある作品だ。
唐谷:東大全共闘議長(長塚圭史)、前橋:京大全共闘議長(山内圭哉)は本物感があるが、梅山、実は片桐(松山ケンイチ)はいかにも薄っぺらい。先輩記者中平(古舘寛治)の忠告もあったのに、沢田(妻夫木聡)は、なぜ、乗せられたのか(乗ったのか)。誰かが何かのために善かれと、リスクを伴う活動をしている。自分は傍観者でいいのか。そういう思いから、報道で援護射撃をしたかったのか。それとも、スクープほしさか。いやいや、単に梅山がCCRを知っていて宮沢賢治を好きだったから、心を許してしまったのか。
沢田は気迫で梅山に負けている感あり。それは「本物」になりたいという思いの強さの差のような気がする。沢田には「本物」になりたいという気持ちはなかったと思う。多分シンパどまりなのだ。一方、梅山は「本物」が何かわかってなかった(とほほ)。
片桐の正体について、本人も無自覚か。安宅(石橋杏奈)、浅井(韓英恵)、柴山(中村蒼)も似たようなものかもしれない。時代の波に飲み込まれた若者の心理がわかりやすい。こういうことで浅間山荘につながっていったのだと思える。
倉田眞子(忽那汐里)って、何のために存在していたのか。波をかぶらなかった下の世代代表か。波をかぶったとしても、若年なりに自分というものを持っていると流されることはないと言うための存在か。それとも「男の涙」についての伏線で必要だったのか。「男の涙」発言は際だった感あり。ここは際だたないような演出の方がよかったかもしれない。
タモツ(松浦祐也)と再会して、沢田が泣くのはここか。ジャーナリストとして情報源を秘匿したことに悔いが残っていたのか。片桐に欺されていたと認めたなら、情報源を黙っている必要はなかった。当時は欺されていたと思ってなかったが、あとで考えると欺されてたってことか。それとも、情報源を秘匿したことに悔いはなく、ジャーナリストとしてのプライドを貫き通したがゆえに辞めざるを得なかったこと、自分がどれだけ「記者」になりたかったかを思い出しての涙か。センチメンタルではあったが熱血だったし若かった。現在の沢田は息を潜めて生きているようだ。ぽっかりと大きな空洞のようなものが感じ取れる。空洞いっぱいになりそうな涙だった。
監督:山下敦弘/脚本:向井康介/撮影:近藤龍人/美術:安宅紀史
(2011/06/04 TOHOシネマズ高知4)

プリンセス・トヨトミ

大風呂敷を広げすぎて畳むのに苦労したみたい(^_^;。だけど、会計検査院三職員のキャラクターが面白いので、ぜひ、シリーズ化して寅さんが果たせなかった47都道府県ご当地映画を作ってほしい。
会計検査で各地を回り、そこの歴史に絡めた話を作れないものだろうか。レギュラーはもちろん松平(堤真一)、鳥居(綾瀬はるか)、旭ゲンズブール(岡田将生)で、どこに行ってもよく似た史家(江守徹)がいるのだ。ゲストは各地出身のタレントさんに2、3人出演してもらってバリバリの方言をしゃべってもらう。鳥居は、名産をたらふく食べてくれるので宣伝になるし、各地のフィルムコミッションは大喜びだ。
真田(中井貴一)・・・・中井貴一は何を着ても似合うなあ。
竹子(和久井映見)・・・・和久井映見ちゃん、がんばれ!
大輔(森永悠希)
茶子(沢木ルカ)
長曽我部(笹野高史)
監督:鈴木雅之
(2011/06/05 TOHOシネマズ高知8)
高知フィルムコミッション
フォトギャラリーが綺麗~(^_^)。