マスグレイヴ家の儀式

ある冬の晩のこと、ワトソンがホームズに書類の山をどうにかして、もう少し住みやすくしてはどうかと提案したら、ホームズはブリキの箱を引きずり出して「この中にはどっさり事件がある。どんな事件があるか君が知ったら、ここへしまい込むんじゃなく、引っぱり出してくれと頼むだろうな。」と言う。ワトソン、釣られる・・・(笑)。
で、ホームズが若かりし頃の事件を話して聞かせる。マスグレイヴ家の儀式で唱えられる問答文から、宝のありかを探り当てたという話。

私にとっては宝探しゲームは、けっこうどうでもよくて、それよりこの短編の書き出しからして笑えるのが気に入っている。

私の友人シャーロック・ホームズの性格で、しばしば私をあきれさせる異常な点は、思考方法においては全人類中もっとも緻密で体系的であるのに、その上衣服はいささか地味にお上品ぶる癖があるにもかかわらず、個人的習慣となると同宿人の気を狂わせかねぬほど、だらしがないということだ。(東京図書、シャーロック・ホームズ全集第2巻P140)

その後、だらしのなさの描写がつづいていくのだが、ワトソンは自分もアフガニスタンで荒っぽい仕事をしていたので、だらしのなさに掛けては相当なものだがと比較したうえで恐れ入っているのでよけい可笑しい。

ロンドンのシャーロック・ホームズ博物館では、ふたりの部屋が再現されていて写真でしか見たことがないけれど、いごこちがよさそうだった。BBC「シャーロック」の部屋もいごこちがよさそう。だらしのなさに掛けては私もいい線行っているので、そう感じるのかもしれない。

ミロ展


とても面白かった!目玉オヤジや一反もめん出演。画面に奥があるミロの版画は宇宙空間ぽい。

版画は小さくて、保存のため照明も暗くて、数ばかり多くて、どっと疲れるので、あまり期待してなかったけれど、大きい、明るい、展示数もちょうど。しかも、ほとんど貸し切り状態。さーっと観たので疲れなかったし。今は改めてもう一度見に行きたいと思っている。

色彩の美しさや形の面白さもさることながら、版画が立体的に見えることに驚いた。
たとえば、真ん中と右の画像は、黒で描かれた部分とグレーの背景の間には明らかに空間があった。右のアンテナを振り回しているように見える人(?)の赤い目と青い目は黒の枠と背景の間に浮かんでいる。
私にはほとんどの版画が三次元に見えた。左右への空間の広がりはあまり感じなかったけれど、かなり奥行きがある。描かれているものの色や太さによって、あるものは手前に、またあるものは遠くに見える。
また、何の試行錯誤も作為もなく描いたように見えるのが凄い。自由でユーモラスで、なんだか元気を分けてもらえるような感じだ。

実物があまりに美しいので図録を見るとガッカリしてしまう。図録は平面にしか見えないし。版画の色んな方法が図解されているのはよかった。う~ん、どうしよう。また見たくなるかな。地元の展覧会は、とことん迷えるからいいなぁ。レームブルックなんか2004年に観たのに図録を買ったのは昨年だもんね。とりあえず、実物があるうちに、もう一回だ。

(2012/08/22 高知県立美術館)

緋色の研究

A Study in Scarlet
「緋色の研究」というタイトルは誤訳だというのをどこかで読んだ記憶がある。それでだろう。「緋色の習作」と訳したものもあったと思う。どうして誤訳なのか気にかかっていたんだけど。

きみがいなかったらぼくは出かけなかったかもしれないし、こんな生まれてはじめての面白い研究を、あやうく逸するところだった。そう、緋色の研究というやつをね。たまには、少々絵画的な表現を使ったってかまわんだろ?(東京図書、シャーロック・ホームズ全集第3巻P84、中野康司訳)

このあとベアリング=グールドの注が入っている。

(略)この時代絵画にはしばしば「何々色の研究」という題がついていた。たとえばホイッスラーには「緑と金色の夜想曲」と題する作品があり、また彼の母親の肖像画はしばしば「黒と灰色の研究」と呼ばれた。

なるほど、絵画だと「研究」ではなく「習作」というもんね。
だけど、ホームズは上記の引用に続けて、

(略)人生という無色の糸かせのなかに、殺人という緋色の糸が一本まじっていて、われわれの仕事は、そいつを解きほぐし、ひき抜いて、端から端まですっかり白日のもとにさらすことなんだ。

と言っているので、「緋色の研究」でいいじゃないかという気がしてくる。ただし、「緋色の習作」と訳したのなら、それなりに続きを訳すだろうから、結局原書を当たらないとわからない。そこで、ふふふ、いつか読む日もあるだろうと思って買っておいた原書を引っぱり出して・・・・・と思ったが、いつか読む日は決してあるまいと処分したことを思い出した(爆)。まあ、あったとしても読めないので処分して正解である。(話のタネになってよかった。)

で、久々に読んだ「緋色の研究」は、これがめっぽう面白い。ホームズ27歳のとき、ワトソンと出会い、同居を始めて間もない頃の事件だ。ワトソンの一人称で書かれた第1部は、珍種人間に出会ったおどろきに満ちている(笑)。第1部の最後で犯人ジェファーソン・ホープが劇的に捕縛され、第2部は、事件の発端となった十数年前のアメリカでの物語となる。これがまたドキドキハラハラの連続で、ドイル卿は読者の心をわしづかみにするのが本当にうまい!

BBCの「シャーロック」第1話「ピンク色の研究」で犯人はタクシーの運転手だったが、こちらは辻馬車の馭者。毒薬とダミーを用意して、相手にどちらか選ばせて同時に飲むというのもBBCは踏襲している。まことのシャーロッキアンは、「シャーロック」を観てそういう相似性や微妙な違いを楽しめるのだろうが、私は本を読み返してBBCとの違いを楽しんでいる。
「シャーロック」シリーズ3は「空き家の冒険」から始まるだろうから、それまでに読み返して、まことのシャーロッキアン風にも楽しむぞ~(笑)。

ジェームズ・ホイッスラーの「灰色と黒のアレンジメント 第1番 画家の母の肖像」
「緑と金色の夜想曲」の画像もあった。
Arrangement in Grey and Black No.1
Nocturne: Blue and Gold —Old Battersea Bridge

グロリア・スコット号

ヴィクター・トレヴァーのブル・テリアがホームズの足首に噛みついて離れなくなったことがきっかけで知り合い、トレヴァー青年がよくお見舞いにきてくれたため二人は親友となったとのことだ。

ホームズ曰く、

彼は活動的で血気さかんな男で、エネルギーと元気に満ちあふれ、ほとんどの点でぼくと正反対だったが、二人ともある共通の関心をもっていることがわかった。彼もまたぼくと同様友人のいない男だとわかって、これが二人を結びつける絆となったわけさ。(東京図書、シャーロック・ホームズ全集第2巻P99)

う~ん、活動的で元気な青年に友だちがいないってことがあるだろうか。もしかして粗暴だから友だちがいないのかしら。でも、そんな人がよくお見舞いに来てくれるものだろうか。荒っぽいけど細やかな気遣いができる人が、いないわけではないけれど。
もしかして、ホームズは友だちが出来たのが嬉しくて、相手も友だちがいないと思いたかったのかも。その思い込みが、流石のホームズの目を曇らせたと(笑)。

ホームズ物語に犬が登場したときの書きぶりを研究したものあり。犬は噛みついたり吠えたり吠えなかったり。あまり好意的に書かれてないので、コナン・ドイルは犬嫌いかもと結論づけられていたように記憶している。

「グロリア・スコット号」はホームズ20歳のときの事件。トレヴァー青年の父親が、ホームズの推理力に驚き、職業にするように勧めた。