TENET テネット

わからなすぎてつまらなかった。動体視力が弱く、情報処理が遅いので、映像の動きや字幕、展開の速さについていけなかった。
時間を遡る人と普通の時間軸にいる人が同じ空間にいる(でも同じ空気は吸えない)というアイデアを映像化していることに感心しても、「変わりターミネーター」に思えてしまうし、萩尾望都の名作「銀の三角」と比較するという不幸な禁じ手にハマってしまう。頭が固いのだろう。
悲しさ漂う『メメント』は好きだったし、『インソムニア』も(世間的にはガッカリな出来だったかもしれないが)好意的に見た。だけど、『バットマン ビギンズ』以降見た作品は、面白いけれど好きになれないものばかりで、クリストファー・ノーラン監督とは馬が合わないと思っていた。だから、私にとっては今作も「わからないから、もう一度見たい」という魅力に乏しい。そうは言っても、『2001年宇宙の旅』クラスの作品だったという評価が定着したら見るかもしれない。

ロシアの武器商人セイター(ケネス・ブラナー)が、余命幾ばくもないため全世界を道連れに自爆しようとするのがいい。よいキャラクターを作ってくれたと思う。体現したケネス・ブラナーが素晴らしい。ロシア語訛りの英語もロシア人ぽい体形も、目の怖さも、その奥の哀しさも、ブラボー!次は、フランス語訛りの探偵が楽しみだ。
(2020/09/22 TOHOシネマズ高知6)

レ・ミゼラブル

スパイク・リーじゃなかった(^_^;。監督は、ラジ・リという人だった。それに、ユゴーの「レ・ミゼラブル」を現代のフランスに置き換えた物語と勝手に思っていたのもハズレだった。しかし、150年以上も前の小説の一節「はじめから悪い草はない。育て方が悪いだけだ。」で見事に締められていた。言いたいことを「バーン!」とわかりやすい。
数年前に見たフランス映画『預言者』でも、無垢だった移民の少年がタフな環境で生きのびていくうち、裏社会で生きるしかない大人になって行った。まさに「はじめから悪い草はない」だ。
ユゴーの小説に普遍性があるのはけっこうなことだが、こんなことに普遍性はなくていいのにと思う。

『預言者』は、寓話的な要素があったが、『レ・ミゼラブル』の方はもっと現実寄りに思える。サーカスからライオンの子が盗まれたことをきっかけに、移民の中でも色々(民族や宗教や犯罪組織など)に別れていて「“仲間”割れ」していることがわかるようになっている。
移民(又は移民ルーツの人)以外との交流が描かれてないので、移民街がゲットーみたいに閉ざされているような印象だ。移民への偏見や差別による貧しさから一部の者が犯罪に走り警察の移民に向ける目が厳しくなり、更に偏見・差別により一部の者が・・・・という悪循環に陥っているのではないか。二世(三世?)は警官になっている人もいたが、安定した職に就けるのは少数なんじゃないだろうか。これは構造的なものなので行政が動くべきだと思う。
冒頭ではワールドカップ優勝に沸く移民(又は移民ルーツの人)たちがクローズアップされていて彼らもフランス人であることが強調されている。もし、行政が動いてないのならフランス人としても「“仲間”割れ」していることになると思う。

ゴム弾とは知らず、子どもが警官に撃たれたときは殺されたと思って仰天した。フランスでよかった。アメリカだったら犠牲になっていただろう。
その様子を、偶然、移民の子がドローンで撮影していたため、証拠隠滅に警官が追っかけたりと思わぬサスペンス劇になり、おしまいには子どもたちの警官への仕返しが暴動に発展する。ゴム弾で顔をめちゃめちゃにされライオンの檻に入れられと、あれだけやりたい放題やられたら恨みに思うのも当然だ。銃を持って狙いを定めた当の子どもと、まるごしの警官の一人が対峙したところがラストカット。さあ、次はどうなるか。でも、作り手はそのずっと先のことも観客に考えてほしいのだと思う。
(講に似たシステムのお金の融通し合いも出てきて少し驚いた。貧しき人々の知恵は世界共通なんだなぁ。)
(2020/09/16 あたご劇場)

窮鼠はチーズの夢を見る

TOHOシネマズでBL。主演が関ジャニ∞で一番の男前の大倉くん♥。原作は読んでいるけど、程よく忘れている。行定監督は嫌いじゃないし。というわけで見に行ったら、今ヶ瀬(成田凌)、可愛いよ~。恋する男子は乙女やね!
なかなかの恋愛地獄だったけれど、完全に人ごとで見れたのでよかった。

今ヶ瀬は、長年の片思いから脱し、やっとの思いで最高の幸せをつかんでおきながら、相手を信じられず無用な嫉妬をして自ら幸せを壊し、苦しむ。一方、大伴恭一(大倉忠義)は、今ヶ瀬の苦しむ姿に耐えられず、最悪の言葉で思いっきり振る(それで相手が諦め、苦しみから解放されるとも思っていた)が、別れた後に恋しい思いが募ってくる。
結局、この物語は、大伴が恋を知って、来る者拒まず去る者追わずのモテすぎ症候群を卒業する話のような気がしてきた。
「心底好きになるということは、その人だけが例外になること」という意味のセリフは、今ヶ瀬が言っていたとおもうけど、「なるほど!」だった。タイプじゃなくても好きになることがあるし、論理の世界じゃないね。でも、「振られたら次へ次へ」で行った方が世の中まるく収まるよ。

それにしても、しばらく見ない間に大倉くんが大人になっていてビックリ。なんか陰のある冷たい感じと、今ヶ瀬が一目惚れする笑顔のギャップも魅力やわ~。流されそうに見えないので「流され侍」の大伴役は難役だったと思う。関ジャニ∞(ジャニーズ)を退所するような噂を聞いたけど、映画に出てくれたら会えるね。すばる君は音楽方面なのでご無沙汰。元気にしてるかなぁ。
「トミーとマツ」のトミー(国広富之)が、意外な役で出演していて面白かった(^o^)。
(2020/09/15 TOHOシネマズ高知7)

海辺の映画館 キネマの玉手箱

ははははは!と笑いながら涙を流し、
(ToT)泣きながら、(^Q^)笑い。
トリュフォーはわかったけど、茂ってだれよー!?馬場毬男もわからんーーー!

その映画が面白いか面白くないか、始まって3分も経たないうちにわかる。『海辺の映画館』は始まった途端、斬新!こんな表現方法があったのかとワクワクした。全くもってオープニングという言葉がふさわしい。言葉がどんどん被さってくるところが、どの作家とも異なるところだ。期待に胸をふくらませながら、これが大林宣彦監督の遺作、遺言(?)と思うと泣けてきた。

先月、高知県立美術館ホールで見た『ÉMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』をバージョンアップしたような四次元コラージュ作品で、爺・ファンタ(高橋幸宏)が登場することからわかるようにファンタジーなのだ。だから裸が出ても乳首は出ない。そのかわり思わぬところで、ヘア(ちょび髭)が出る。大林監督が好きなものと嫌いだけれど忘れてはならないものと残したいもの託したいことが詰まっている。映画の迷宮で爺さんから、えらい玉手箱を渡されたものだ。

瀬戸内キネマの閉館オールナイト上映の観客である三人の男性が、スクリーンに入ったり出たりする。『カイロの紫のバラ』の元ネタとなったのはバスター・キートンの映画だったか・・・・、映画ファンにとってスクリーンを出たり入ったりするのは常識だ。しかし、大林監督は常識以上のものを三人に背負わせた。映画で万物(特に歴史)を学び、現世の今後に生かせということだ。
私が映画を観始めた1980年代、アメリカは世界の警察と言われていて、自国の正義を振りかざし世界中で我が物顔に振る舞っていたので嫌な国だなぁと思っていたけれど、アメリカ映画で観るアメリカ人はどの映画でも私たちと大して変わらない人たちじゃん、そういう映画を観てアメリカ人も楽しんでいるわけで・・・・と考えていくと、アメリカの政府とアメリカ人は違うのだと思えてきた。それで「北朝鮮」と言うとき、その政府と国民を分けて考えることが出来るようになっていたので、拉致問題が公になって世間が北朝鮮を酷く言うのに同調しなかったものだから友だちには不思議がられた。映画で学んで生かすって、そういうことですよね、監督?

「桃栗三年、柿八年、柚は九年で成り下がり、梨のバカめは十八年」は、どの大林作品だったか。今作では中原中也、イイネ!と思った。それと「雨降りお月さん」も。美しい歌だ。うん十年ぶりに歌った。字幕もイイネ!外国語がわからなくても耳が聞こえにくくてもOKだ。川島芳子(伊藤歩)に「好きです、ヨシコさーん」ってどこかで聞いたことがあるなあと、林家三平(先代)を思い出すのに映画が終わって30分くらいかかった。白虎隊は有名だけど、娘子隊は初めて聞いた。この映画で一番古い時代はいつだっけ、戦いとしては宮本武蔵の決闘かな。思えば、日中戦争、太平洋戦争でも日本刀は欠かせなかった。三島由紀夫以降も日本刀で人が殺されている。美術品で人を傷つけるのはやめよう!バトントワリングはOK!
(2020/09/09 TOHOシネマズ高知8)

追悼:大林宣彦監督