ある少年の告白

知らないことは罪深いと改めて思った。性的指向は病気でも嗜好でもなく、治療すべきものでも矯正できるものでもないのは、現代日本では共通認識となっていて教育もしていっているが、今もって同性愛が犯罪の国があるし、アメリカのキリスト教原理主義(福音派?)者は天動説も進化論も拒否していると聞くので、そこでは無知のままなのかもしれない。それにしても、LGBT運動の先進国に見えた21世紀のアメリカで同性愛を矯正する施設(を禁止していない州)があるとは、どういうわけだろう?『アナと雪の女王』でも「ありのままの姿、みせるのよ~」と歌われているのに、まだまだ自由への道半ばということか。

主人公ジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)が通った矯正施設の実態は洗脳施設だった。他人には触れないようにという規則を過剰に守り軍隊式の敬礼で挨拶をする入所者(なんとグザヴィエ・ドラン!)は、洗脳されきっている。もう少し考えのある入所者(トロイ・シヴァン)は、ジャレッドに「役を演じるんだよ」と忠告する。同性愛が治ったように見せないと長期入所させられるのだ。彼はこの初期プログラムを脱出できたら、外でのことはそれから考えればいいと言う。彼なら施設外でも演じ分けをするのだろう。もう一人、キャメロンは、自分の気持ちに正直だったため、御されにくい者として打ち砕かれ、おしまいには自殺する。(自殺に見せかけた殺人かとも思ったが、ジャレッドの脱出を助けたために、責め立てられ追い詰められたのだろう。)
ここに通う人たちは、自分らしくあろうとすると、肉親にも施設の所長にも否定され、自らを否定することになり、幾重にも傷つけられる。

ジャレッドが洗脳されなかったのは、家族医とゼイヴィア(セオドア・ペレリン)の言葉のお陰かもしれない。家族医は同じキリスト教徒であるため同性愛がよいとは思ってないけれど、病気でも嗜好でもないと知っているので、矯正できると思っている彼の両親は間違っていると断言した。ゼイヴィアは「神と科学」という作品展を開いていたアーティストで、ジャレッドが惹かれた相手だ。彼もキリスト教徒だが、「神は外から僕たち見ているのではなく、僕たちの内側にいる。君を罰したりしないよ。」と同性愛が罪でないと言った。信者として葛藤を抱えていたジャレッドが、施設で自分の性的指向は矯正できないとわかってきたときに、二人の言葉が大きく響いたと思う。
それがまた、作り手の一番言いたいことなんだろう。

ジャレッドは母に助けを求め施設を脱出できたが、それで話は終わりではなかった。父親に受け入れてもらえない辛さがあった。ジャレッドも父もお互い愛しあっているのに。けどまあ、エンドクレジットで「愛は勝つ」とわかる。そして、所長さんが夫と暮らしているという現況報告・・・・。『ジャンゴ 繋がれざる者』のスティーブン(サミュエル・L・ジャクソン)みたいにありがちだけれど、悲しいし、今回被害者もいるので罪深いよなぁ。

ラッセル・クロウは名優の域に達しているなぁ。ニコール・キッドマンは、キッドマン臭は拭いがたいものの難はなし。所長さんを演じたジョエル・エドガートンが、この映画の監督・脚本・制作を担ってもいたとは!この人はバズ・ラーマン監督の『華麗なるギャツビー』に出ていて、私にジョン・レグイザモと間違われた人だ。才人だったのね。
(2020/08/13 動画配信)

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト

素晴らしい!セルジオ・レオーネ監督作品でちゃんと観たのは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』だけだが、それに匹敵するくらいの満足感だった。

駅で待つ三人の男のロングコートがカッコイイ。待っている男の顔にハエが止まる。それだけのことに何分間を費やすのか。ちゃんと落ちまである!
登場人物のアップが映える。蝿に止まられた男を始め、アップに耐えうる顔ばかり!ヘンリー・フォンダもジェイソン・ロバーズも名優だったんだー。素晴らしい化けっぷり。そして、絵になるシーンばかり!キャラクターごとのテーマ曲もグッド。エンニオ・モリコーネ(合掌)。決闘、お色気、友情あり。お尋ね者もいるし、復讐劇でもある。汽車も走って西部満載。

夫子を殺された妻ジル(クラウディア・カルディナーレ)の復讐箪かと思いきや、さにあらず。(妻の復讐箪だとタランティーノ作品になってしまう(^Q^)。)大陸横断鉄道が西部へ延伸する際の利権が絡んだ話だった。ラストは、ジルの細腕繁盛記を予感させつつ、こうして西部が拓けていくのだなぁと感慨深かった。
(2020/08/17 あたご劇場)

追悼:大林宣彦監督

4月に亡くなった大林監督は、以前、死者と生者をつなぐ映画(3)に書いたように「『愛される映画』と『愛すべきトホホな映画』をたくさん生み出した」。末期ガンだとわかってからも生きて映画を作り続けた。遺作となった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』は当地でも上映予定で楽しみにしている。

大林監督の言葉で印象に残っているのは、二つ。
映画ナタリーのページ「あの日の声を探して」に寄せて大林宣彦が語る、フィクションの持つ力とは(2015年4月19日)より

「そもそも、映画っていうのは記録装置なんだ」と説明。「ただリアルな記録を見せても、それが拒否されれば風化してしまう」と人々が同じ過ちを繰り返しかねないことに警鐘を鳴らし、「フィクションには、“嘘から出たまこと”がある。たとえ絵空事でも、根も葉もあれば花が咲く。事実を超えた真実を伝えるのが劇映画というもの」と続ける。

裁判でも国会の議事録などの公文書でも新聞でも事実の切れ端はわかるかもしれないが、事実の奥にある本質を理解するのは難しい。物事の本質は、むしろ映画や小説などの創作物によってわかることの方が多いと思う。まずは感情でそれを受けとめて、あとで考えてみると本質により近づけるのだと思う。だから、劇映画で現実味の薄い表現があっても一向にかまわない。大林作品にいかにも創作らしい表現が随所にあるのは、そういうわけだったのだ。

もう一つの言葉は、対談で塚本晋也監督に向かって言ったという。
「僕は戦後の監督、あなたは戦前の監督」
大林監督の認識では、今はもう戦前なのか。晩年は戦争に関する映画が続いていた。塚本監督は、先輩監督の警鐘を受けとめて行動している。

『この空の花 長岡花火物語』の感想


追悼上映会のつもりで観てきた。
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『ÉMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』
面白い!大林監督の好きなものが詰め込まれた宝の箱のようだ。好きなものの四次元コラージュ。なんだか愛しくなってくる。もちろん、女の子もいる。帯を「あ~れ~」とほどかれる(笑)。20分くらいにまとめていたら完璧!

『可愛い悪魔』
面白い!「優しい悪魔」はキャンディーズに、「可愛い悪魔」は女の子が好きな大林監督におまかせだ。秋吉久美子はセリフがところどころ強くなるので、弱々しいばかりのヒロインは不似合いなんだけど可愛いから許す。悪魔っ子の女の子、なかなかやるな。ガラスの花瓶、ズボッ、くるくるくるくるは、思わず笑ってしまった。リアルにやられると気が滅入るので助かった!火曜サスペンスを始めから終わりまで見たのは初めてだった。
(2020/08/15 高知県立美術館 高知県立美術館ホール)

バーバラと心の巨人

『怪物はささやく』の男の子は、死期が迫る母に生きていてほしいのに、死んでもらって重苦しい現状から脱したい気持ちもあり、その罪悪感に蓋をして苦しんでいた。怪物は、それって自然な気持ちだよー、罪じゃないよー、吐き出しちゃいなよと教えてくれる存在だった。
『バーバラと心の巨人』はタイトルでネタを割っているため、主人公にしか見えない巨人って「もしかして心の病?何が原因で?」「いやいや、壊れそう~;;。」という興味で観ていくことになり、ファンタジー度は低くなっている。原題は“I KILL GIANTS”。

バーバラ(マディソン・ウルフ)は、言葉のパンチが効いていて期待していたよりも作品を面白くしてくれた。言葉を自在に操れるだけでなく、美術の才能がずば抜けている。更に運動能力も抜群。一人で巨人用の大がかりな罠を仕掛けたりできるし、カウンセリングのモル先生(ゾーイ・サルダナ)が追いかけていたけど、断然、バーバラの方が速い。

結局、バーバラは心の病ではなく、母の病気を受け入れられずに苦しんでいたことがわかる。病気の母に近づくのが怖いため、恐怖心(巨人)と闘っていたのだろうし、イマジナリー・バトルに逃避していたとも言える。こういう恐怖やそれに耐えるためのお守りや呪文は、よくわかる世界だ。(大人になったら呪文は不要かと思ったら、アンガーマネージメントとかで必要になった。)

母が亡くなって、見舞いに来た巨人にバーバラが言う。「大丈夫。本当は強いのよ。」
でしょうねー、あのバーバラだもんねぇと思うと同時に、くじけそうになっている子どもたちへのエールにも思えた。「本当は強い」を呪文に生き抜いてほしいという作り手の声が聞こえたので、なかなかよい作品ではないのと思った。

一番可哀相だと思ったのは、働きながら妹や弟の面倒をみていたカレン(イモージェン・プーツ)。
アメリカの北東海岸が舞台かなと思ったら、ニュージャージー州でビンゴ(^_^)。
(2020/08/03 あたご劇場)