「ダンシング・クィーン」以外、聴いたことがない曲ばかりだったが楽しかった。
おっかさんは死んでも傍で見守っているよ(涙)。だから、生きていれば、もちろん傍にいるよ・・・・・って母親ばかりではなくて~(笑)、シェール~!
主要人物の30年前を演じる若き俳優と現在(といっても90年代のはず)を演じる俳優の対比も楽しかった。
あと、見たことある顔、ラテン系によくあるハンサム顔だよねーーーーと思っていたら、アンディ・ガルシアだった(^_^;。
(2018/08/28 TOHOシネマズ高知5)
「ダンシング・クィーン」以外、聴いたことがない曲ばかりだったが楽しかった。
おっかさんは死んでも傍で見守っているよ(涙)。だから、生きていれば、もちろん傍にいるよ・・・・・って母親ばかりではなくて~(笑)、シェール~!
主要人物の30年前を演じる若き俳優と現在(といっても90年代のはず)を演じる俳優の対比も楽しかった。
あと、見たことある顔、ラテン系によくあるハンサム顔だよねーーーーと思っていたら、アンディ・ガルシアだった(^_^;。
(2018/08/28 TOHOシネマズ高知5)
これくらいの作品がもっと多くあってほしい。
理不尽なことが盛りだくさんの世の中で、ごまめの歯ぎしりしっぱなしの私たちが溜飲を下げるのは、こういう映画を観たとき!(^o^)
「空とぶタイヤ」って何のことかと思ったら、車軸から外れて転がり弾んで母子連れに当たった死亡事故のタイヤのことだった。
1件の事故に関係者がたくさん。事故車両を所有している運送会社の人々(社長の幼い娘まで)、被害者家族、車輌製造会社の人々、販売店の人、過去の事故の関係者、警察、マスコミ、銀行・・・。いや~、よくまとめたなぁ!(拍手)
中小企業は社員の顔が見えるのでリストラしにくいね。トップが部下の声に耳を貸さない会社の未来は暗い。部下の意見を尊重する会社や御意見番がいる会社はイイネ!多様な意見から最善の策を選択すれば、会社は繁栄するでしょう。そんなことも思った。
過ちを認め謝罪し、誠意を持って事後の処置に当たる。←なかなか難しいが、赤松社長(長瀬智也)は出来ていた!出来てないのが、リコール隠しまでしていたホープ社。過ちを認め謝罪するのが当たり前の世の中になってほしい。
ベストアクト賞:事故原因を整備不良とされ、整備畑から総務畑に異動させられ、恨み積年(執念)の表情が抜群の佐々木蔵之介に。
(2018/07/22 TOHOシネマズ高知2)
美しいものを観た。主人公が死んだのに元気をもらえた。
とてもよいご夫婦だった。割れ鍋に綴じ蓋的なところが可笑しくも微笑ましく、おしまいには二人の関係にうれし涙だった。
モード(サリー・ホーキンス)が初めてエベレット(イーサン・ホーク)に会ったとき、彼がやさしい人だと私にもすぐにわかった。「飲み物をくださらない?」というのに、ちゃんと応えてくれたんだもん。
時代を感じたのは、結婚する前のモードの不自由さ。彼女は自分のことを自分で決めさせてもらえない。兄か伯母(叔母?)の言うことに従うしかない。自由なのは絵を描くときだけ。足が不自由そうだけど、ここまで制限されるとは他にも何かあるの???ガラスの心とか・・・・。プロローグでは息をするのも大変そうだったけど・・・・。としばらく構えていたけれど、足が不自由なだけだった。(後で先天性のリウマチで肺疾患にもかかったとわかる。)
イーサン・ホークは、こんな声だっけ?別人みたい。これまでにない役どころだった。
(2018/07/17 ウイークエンド・キネマM)
映像も愛情も美しかった。主演の男の子(祥太:城桧吏)の瞳も美しく魅せられた。全員が血のつながりがなかったことがわかり、家族って血じゃないと改めて思った。ただし、この家族のもろさも描かれていて、「絆」というより「つながり」だと思った。そして、「つながり」でいいじゃないかと思った。温もりのあるつながり、それで十分しあわせだ。
是枝監督はテレビでドキュメンタリー番組を制作していたそうで、ジャーナリスティックな面があるのでしょう。この映画でも近年の日本で起こった事件や事故が織り込まれている。ワーキングプアや労災隠し、年金受給のための亡きがら隠し、幼児虐待、自動車内に子どもだけを残して死なせてしまう、無戸籍で学校へ行けないなど。そういう社会問題を抜きにしてパルムドールはなかったろう。とてもよく出来た作品だと思うが、私は是枝監督作品とはつくづく肌が合わない。監督と素材との距離は常に一定で、素材に溺れることがない。泥臭いのはあまり好きではないが、もう少し泥が混じってもいいんじゃないの?面白くて良い作品が多いのに熱量が私には物足りないのだ。
それでも二つの点で是枝監督も私と同じ考えなのかと思った。一つは、万引きを見逃してきた雑貨屋のおやじさん(柄本明)。困窮を察しての見逃しは、助け合いの一つだ。そういう寛容さがまったくない世の中は、貧困をなくす制度を作るのもむずかしくなると思う。「妹にはさせるな」の一言で、見逃してきたことと万引きを是としているわけではないことを表す。(しぶしぶ見逃してきたことは、それまでのおじさんの表情が表している。)このような古き良き雑貨屋がなくなっていくのと、人々の寛容さが乏しくなっていくのは相関関係があるのだろうか。
もう一つは、祥太が乗っていた自動車のナンバーを模造実母(安藤サクラ)が控えていたこと。家族形成において血のつながりは、それほど大切ではないと思うが、子どもにとって生みの親の実在を知ることはアイデンティティーに関わる重要事項だと思う。会う会わないとか、どんな人物かは、どこの誰ということと比べたらどうでもよいので、子どものためを思うならそれがわかるようにしておいてほしい。
ラストシーンでゆり(佐々木みゆ)は何を見たのか。「万引き家族」の誰かがゆりに会いに来たわけではないと思うが、「家族」の誰か(おそらく祥太)が来たと思ったんだと思う。
(2018/06/10 TOHOシネマズ高知7)