ボヘミアの醜聞

「あの女」アイリーン・アドラーに出し抜かれ、国王と彼女のツーショット写真を取り戻すことに失敗。だが、アイリーンが写真はお守りとして持っておくにとどめると約束したので、国王は写真は焼き捨てたも同然だとホームズの仕事に満足し、一件落着。どんな褒美でもとらすという国王に、ホームズはアイリーンのブロマイドを所望。かつて女の知恵を嘲笑していたホームズだったが、以後、笑うことがなくなったというオチ(^o^)。

コメディ仕立ての短編で、ボヘミア国王との掛け合いは間がよくて漫才みたい。
ホームズの変装2回、アイリーン1回。ワトソンも「火事だー!!!」と叫ぶ役回りがあてがわれる。
活劇の要素もあって、ゴドフリー・ノートン(アイリーンの恋人)が辻馬車に飛び乗り「セント・モニカ教会へ!20分で行けたら半ギニーやるぞ!」。つづいて、アイリーンが馭者に「セント・モニカ教会よ!20分以内に着けたら半ゾウリンあげるわ!」。更に追いかけるホームズが「セント・モニカ教会へやってくれ。20分以内に着けたら半ゾウリン!」てな調子で、教会に着いたらホームズは二人の結婚式の立会人を引き受ける羽目になるのだ(^Q^)。

話の導入部も素敵で、この頃ワトソンは結婚していて、往診の帰りにベイカー街を通りがかり、窓に映ったホームズの影をみて会いたくなる。

ホームズの態度は割合そっけないものだった。めったに感情を表にあらわさないのだ。だがそれでも、私に会って喜んでくれているのはわかった。ほとんど口もきかなかったが、やさしい目付で、肘掛椅子にかけるようにと手で合図すると、葉巻きのケースを投げてよこし、酒の台やガソジンが部屋の隅にあると指でさし示した。そして、暖炉の前に立つと、例の妙に内省的な表情でじっと私を見つめた。(東京図書、シャーロック・ホームズ全集第5巻P122、日暮雅通訳)

ここまで読むといい雰囲気なのに、後の会話がまた笑えるのである。

最後に肝心な話。
写真まで所望した初めての女性であるからして、彼女に対して恋愛感情があったかどうか常に問題とされるところだが、写真を受け取った後の態度は、プライドずたずた、悔しくてたまらん、というふうに私には読める。そんな相手の顔も見たくないとはならずに写真がほしいとは、ホームズ、マゾか(笑)。まあ、「マスグレイヴ家の儀式」でも記念品をブリキ箱から取りだしていた彼のことだ。ブリキ箱には他の事件の記念品も保管されていることだろうし、ホームズは記念品コレクターなんだろう(?)。なんか可愛い(^m^)。

ライゲイトの地主

ホームズが過労のためリヨンで倒れ、その知らせの電報から24時間のうちにワトソンは病床に駆けつけた。「ヨーロッパが彼の名声で沸き返り、部屋は祝電の山で文字通りくるぶしまで埋まりそうだというのに暗い抑鬱状態に落ちこんでいた。」いや~、ホームズ、働いてるわ~。

ふたりは一旦ベイカー街に帰ったけれど、すぐにサリー州のライゲイトへ療養しに行くことになった。もちろん、医者であるワトソンの勧めだ。ところが、事件がホームズを呼ぶのかホームズが事件を呼ぶのか、ワトソンのにらみ(願い)も利かず、ホームズは殺人事件の捜査に乗り出すことになる。地元の警察にも頼られるし、本人も嫌いじゃないからして(笑)。

それで療養に来ているのをいいことに仮病をよそおったり、ガッシャーンとテーブルをひっくり返してワトソンのせいにしたり(仮病に騙されたワトソンもそのへんは心得ていて自分でテーブルをもとにもどしたり)で、事件はスッキリ解決。「ワトソン君、田舎での静養は大成功だったよ。ぼくは明日には、大いに元気になってベイカー街へ戻れるだろう」という落ち(笑)。
冒頭の抑鬱状態は、大きな事件を解決して「次」がなかったからという気がする(^_^;。これでは、ヒマすぎるとき、コカインをやりたくなるのも無理はないか。
(題名は「ライゲートの大地主」という訳が威勢がよくてよかったなぁ。)

マスグレイヴ家の儀式

ある冬の晩のこと、ワトソンがホームズに書類の山をどうにかして、もう少し住みやすくしてはどうかと提案したら、ホームズはブリキの箱を引きずり出して「この中にはどっさり事件がある。どんな事件があるか君が知ったら、ここへしまい込むんじゃなく、引っぱり出してくれと頼むだろうな。」と言う。ワトソン、釣られる・・・(笑)。
で、ホームズが若かりし頃の事件を話して聞かせる。マスグレイヴ家の儀式で唱えられる問答文から、宝のありかを探り当てたという話。

私にとっては宝探しゲームは、けっこうどうでもよくて、それよりこの短編の書き出しからして笑えるのが気に入っている。

私の友人シャーロック・ホームズの性格で、しばしば私をあきれさせる異常な点は、思考方法においては全人類中もっとも緻密で体系的であるのに、その上衣服はいささか地味にお上品ぶる癖があるにもかかわらず、個人的習慣となると同宿人の気を狂わせかねぬほど、だらしがないということだ。(東京図書、シャーロック・ホームズ全集第2巻P140)

その後、だらしのなさの描写がつづいていくのだが、ワトソンは自分もアフガニスタンで荒っぽい仕事をしていたので、だらしのなさに掛けては相当なものだがと比較したうえで恐れ入っているのでよけい可笑しい。

ロンドンのシャーロック・ホームズ博物館では、ふたりの部屋が再現されていて写真でしか見たことがないけれど、いごこちがよさそうだった。BBC「シャーロック」の部屋もいごこちがよさそう。だらしのなさに掛けては私もいい線行っているので、そう感じるのかもしれない。

緋色の研究

A Study in Scarlet
「緋色の研究」というタイトルは誤訳だというのをどこかで読んだ記憶がある。それでだろう。「緋色の習作」と訳したものもあったと思う。どうして誤訳なのか気にかかっていたんだけど。

きみがいなかったらぼくは出かけなかったかもしれないし、こんな生まれてはじめての面白い研究を、あやうく逸するところだった。そう、緋色の研究というやつをね。たまには、少々絵画的な表現を使ったってかまわんだろ?(東京図書、シャーロック・ホームズ全集第3巻P84、中野康司訳)

このあとベアリング=グールドの注が入っている。

(略)この時代絵画にはしばしば「何々色の研究」という題がついていた。たとえばホイッスラーには「緑と金色の夜想曲」と題する作品があり、また彼の母親の肖像画はしばしば「黒と灰色の研究」と呼ばれた。

なるほど、絵画だと「研究」ではなく「習作」というもんね。
だけど、ホームズは上記の引用に続けて、

(略)人生という無色の糸かせのなかに、殺人という緋色の糸が一本まじっていて、われわれの仕事は、そいつを解きほぐし、ひき抜いて、端から端まですっかり白日のもとにさらすことなんだ。

と言っているので、「緋色の研究」でいいじゃないかという気がしてくる。ただし、「緋色の習作」と訳したのなら、それなりに続きを訳すだろうから、結局原書を当たらないとわからない。そこで、ふふふ、いつか読む日もあるだろうと思って買っておいた原書を引っぱり出して・・・・・と思ったが、いつか読む日は決してあるまいと処分したことを思い出した(爆)。まあ、あったとしても読めないので処分して正解である。(話のタネになってよかった。)

で、久々に読んだ「緋色の研究」は、これがめっぽう面白い。ホームズ27歳のとき、ワトソンと出会い、同居を始めて間もない頃の事件だ。ワトソンの一人称で書かれた第1部は、珍種人間に出会ったおどろきに満ちている(笑)。第1部の最後で犯人ジェファーソン・ホープが劇的に捕縛され、第2部は、事件の発端となった十数年前のアメリカでの物語となる。これがまたドキドキハラハラの連続で、ドイル卿は読者の心をわしづかみにするのが本当にうまい!

BBCの「シャーロック」第1話「ピンク色の研究」で犯人はタクシーの運転手だったが、こちらは辻馬車の馭者。毒薬とダミーを用意して、相手にどちらか選ばせて同時に飲むというのもBBCは踏襲している。まことのシャーロッキアンは、「シャーロック」を観てそういう相似性や微妙な違いを楽しめるのだろうが、私は本を読み返してBBCとの違いを楽しんでいる。
「シャーロック」シリーズ3は「空き家の冒険」から始まるだろうから、それまでに読み返して、まことのシャーロッキアン風にも楽しむぞ~(笑)。

ジェームズ・ホイッスラーの「灰色と黒のアレンジメント 第1番 画家の母の肖像」
「緑と金色の夜想曲」の画像もあった。
Arrangement in Grey and Black No.1
Nocturne: Blue and Gold —Old Battersea Bridge