GO、GOマンゴー、西島園芸団地

ブーゲンビリア
西島園芸団地へ行ってきた。7月1日から20日までマンゴーまつり開催中で、普段は1080円のハーフマンゴーが780円。マンゴーなんて初めていただいた。マンゴープリンが好物の母も本物は初めて。美味しかった(^_^)。味が複雑だ。細かい目の網が幾重にもなっていて、それぞれの網の味が異なる。重なりの奥の方は何かの味に似ているんだけど・・・・。何だろう。こんなに味わっていただくのは高価な果物だからだろうなぁ。普段食べているものも本当は網の重なりがあるのかもしれない。

マンゴー
皮だけになったハーフマンゴー。後味の後味(かなり時間が経ってからの味)はスイカに似ていた。
マンゴーの他にもトマトカレーとかアイスクリームとかジュースなどのメニューがあるようだ。車いすOKなトイレもあるし、近くならいいのになぁ。

西島園芸団地公式サイト

<追記>
帰宅してアーサー・ビナード編の「もしも、詩があったら」(光文社新書)にあったマンゴーの詩を読み返した。南米のガイアナ出身の詩人ジョン・アガード作の「イギリスから来た彼女がはじめてマンゴーを食べる(一種の恋歌)」という6ページ半に渡るほのかに色っぽい詩だ。その中に次の一節があって私は叫んだ(心の中で)。

念のため、ぼくはいっておく。
「これはリンゴの芯なんかとは
わけが違う。種のまわりが
いちばん甘いから、その汁を
しゃぶり忘れたら、損だよ。
心の中にまでしみてくるから」

えーっ!!!種、なかったやん!
種、どこ行ったー!?タネタネタネ!
お皿に載ったハーフマンゴーは、見栄えがするようにカットされ、皮が下になるようにでんぐり返されていたのだった。もし、またマンゴーまつりに行くとしたら、半分に切っただけで出してほしいと言ってみようか。しかし、どんな種なんだろう?リンゴのように種も半々になってくれるだろうか?そういう疑問には検索だ(笑)。グーグルの画像集も参考になったけれど、次のページが面白かった。

種から始めるマンゴー栽培

家庭内民主主義の実践

我が家の裏庭に1年以上もの間、便器が転がっていた。母が車いす生活になったとき、手水鉢と男性用便器と奥の洋式便器へ通じるドアを取り外してからのことである。私はそれらを処分したかったが、父はまた使うとき元に戻すので捨てるなと言った。

昨年末、仕事納めの日に休暇が取れたので、裏庭の美観を損なうのに多少なりとも貢献しているアヤツをゴミ処理場に持ち込むチャンスだと思った。かなり重いが、ずるずると引きずって、車に積み込むにも車いす用のスロープを引き出せば、私の力でも出来そうな気がした。取り外したドアは家の中にあるし(木製だからのこぎりで小さくできる)、手水鉢は不燃物の日に出せる大きさだ。黙って処分しても、おそらく父は気がつかないだろう。電子レンジでチンしたものをそのまま腐らせる名人だから。市場で競り落とした青果をそのまま置いて帰ることで名を馳せていたから。

黙って処分するのは民主的ではない。だが、「捨ててもよいか」とか「捨てる」とか断りを入れると反対されて面倒だ。どうせ気がつかないだろうし。私は考えた。・・・・・政策を推し進めるためには、情報はなるべく公開しないに限る。国民あるいは住民のためになる政策なのだから、さっさと取りかかりたい。政策を決める過程や決めたことをオープンにすると、様々な意見を言われるようになり先に進まないのだ。外交や軍事だけでなく、行政の些細な決めごとであっても「決められる政治」と言われるためには情報は非公開、これ正解。ときあたかも2013年12月、特定秘密保護法案が国会を通過し、法律が公布されて間もなかったせいもあり、便器を処分する問題が私のプライドの問題となった。どこぞの総理大臣やなんかの真似をしてたまるかという思いである。

民主的にいこうと決めたとき、もし、反対されたら便器の処分はまたお預けだとも覚悟した。特定秘密保護法案について福島県で公聴会が開かれ、反対や慎重にという意見ばかりだったにもかかわらず、その翌日に衆議院で可決された。あの真似もごめんだからだ。

そうして、父には「あの便器をどうするつもりか」とたずねることから話を始め、案の定「元に戻すまで置いておく」と言うので、「いまの洋式一つで支障はなく、元に戻すにはお金もかかるよ」と言うと「そうやねぇ」という話になって、車に積み込むのを手伝ってくれた。ゴミ処理場に持ち込んだアヤツの重さは30キログラム、処理料金は150円だった。