ヤコブへの手紙

感動したー(ToT)。見事なハッピーエンディングだ。それに、並木の一本道、木立の中の光、風に揺れる野の花、石造りの教会など、フィンランドの夏(?)が美しい。ケトルやカップなどの愛しくなるような使われ具合もいい。素朴なピアノの調べもこの映画にピッタリだ。話の筋も人物もくっきりとしていてわかりやすいうえに、なお想像の余地を残していて反芻できるのも味わい深い。
レイラ(カーリナ・ハザード)は、映画のヒロインとしてはインパクトのある顔で、ふてぶてしかった彼女がタクシーの中で行き先を告げられずにいる表情には意表を突かれた感じだ。相談の手紙が来ないことを悲しむヤコブ牧師(ヘイッキ・ノウシアイネン)に対して、「それがどうしたっていうの」とまるでわかってなかったレイラだったけれど、本当に行く先がないことと手紙が来ないことは同じだとわかっただろうか。たとえ同じと思わなくても、「手紙が来ない=必要とされていない」と弱っていくヤコブ牧師を見て、彼女が気遣う表情になるのが私は嬉しかった。レイラ、優しいよ~。(あの三角の扉付き構造物が汚水だめとわかったときの驚き。ゴミ箱くらいに思ってたから~。)
本当に優しい人は強いはずだけれどレイラだって弱かった。姉の面会も手紙も拒否したのは、怖かったからだろうと思う。会って何を言われるか、手紙に何が書かれているか。姉に対して悪いことをしたという思いが強ければ強いほど、恐ろしくて会えないし読めないと思う。
恩赦された経緯をヤコブ牧師から知らされてレイラが泣くのは、最大のもらい泣き場面だ。私も盛大に泣いた。その後すぐに、ヤコブ牧師が亡くなったのはよかった。ヤコブ牧師は妻もめとらず、人々のためにつくしてきたが、晩年は忘れ去られ孤独で誰からも必要とされていないとまで思うようになっていた。そんなときにレイラのために役立った、一つの仕事を成し遂げた思いで旅立てるのは大変よいタイミングだと思った。終わりよければすべてよし、死ぬなら今だのこのときに死ねてよかった。
レイラの自殺未遂のとき「なんて頑丈な首」と思ったが、未遂の原因は首ではなく足だろう。踏ん切りがつかず机から足を離せなかったのだと思い直した。
最大の謎は、なぜ、手紙が急に来なくなったかだ。郵便配達人(ユッカ・ケイノネン)に問い質したい。
POSTIA PAPPI JAAKOBILLE 監督:クラウス・ハロ
(こうちコミュニティシネマ 2011/11/11 喫茶メフィストフェレス)

ベル デアボリカ[1]

久々に坂田靖子マンガを読みました。面白かったー!つづき読みた~い!ネットで無料で読めるらしいけど、紙で読みた~い。第2巻は既に出ているらしい。買いですね。それにしても、坂田靖子が「大長編」って、ホンマですか~?意外だ。ホームズ好きでイギリス好き。クラシック音楽、吸血鬼と好きなものが重なっていて、短編が多くて、長文を書く体力がない私と似てるかも思っていたので、ちょっと驚いた。
う~む、読書の秋だし、バジル氏も購入しようかな。この代表作を読んでないんですよね~。
たかのさんのブログ「ひとりごと」の書評が面白い(^Q^)!
坂田靖子『ベル デアボリカ』1巻
マンガ評論家(?)、夏目房之助さんの書評
坂田靖子『ベルデアボリカ』1(朝日新聞出版)
ご本人のサイト
サカタBOX

木漏れ日の家で

アニェラ(ダヌタ・シャフラルスカ)のように尊厳を失わず、美しい思い出を持ち、憎まれ口をきく孫を年嵩の余裕でいなし、息子の裏切りを心から嘆く感性の豊かさを保ちながら、自分の人生の始末をつけられたら、どんなによいか。
病院からの帰り、町中で立ち往生する冒頭から、めまい、ダンスの思い出というふうにアニェラと一体化した映像表現が素晴らしかった。特に、住み慣れた家を離れ、街を見下ろしながら昇っていく彼女と途中まではいっしょだったが、ふと上昇をやめ、今度は彼女が昇っていった空を見上げるというカメラの動きが深い余韻を残した。
PORA UMIERAC 監督:ドロタ・ケンジェジャフスカ
(こうちコミュニティシネマ 2011/10/26 高知県立美術館ホール)

ミッション:8ミニッツ

話が面白い。音楽がいい。透きとおった映像と演出に細やかなセンスを感じる。SFエンターテインメントと思っていたら、生きる喜びや希望まで抱かせてくれるとは嬉しい驚きだった。
(以下、いきなりネタバレです。)
死亡前8分間の他人の記憶の残像に入り込む装置だと思ったら、実はパラレルワールドへの転送装置だったとは、開発者であるラトレッジ博士(ジェフリー・ライト)さえ気がつかなかったことを、コルター・スティーヴンス大尉(ジェイク・ギレンホール)は実地に体験し証明した。私は証明の部分(グッドウィン大尉(ヴェラ・ファーミガ)がコルターからのメールを受信するシーン)は、生命維持装置をつけたコルターにもささやかな希望を感じさせるシーンになってはいたが理に勝ちすぎている気がして、その前のシーンで終わってもよかったと思った。
列車の中で漫談を聴いてさんざめく人々の笑顔や輝く樹木などが、コルターとクリスティーナ(ミシェル・モナハン)がともに別の世界で生きていく喜びを表している。このシーンを記憶にとどめ、あの不思議な物体(どこでどうつながっているのか、幾人もの「私」が形を変えて存在している)を見上げる主人公をラストシーンとしたい。
そうそう、主人公がアフガンで負傷したという設定はアメリカの今を写していていいし、コルターが電話で父と話すシーンも心に染みてよいと思ったけれど、コルターが別世界で身も心も乗っ取った人には悪いなぁと思ったことであった。
SOURCE CODE 監督:ダンカン・ジョーンズ/脚本:マーク・ゴードン、フィリップ・ルスレ/音楽:クリス・ベーコン
(2011/11/02 TOHOシネマズ高知8)