ヒューケラ

2020

ヒューケラの花2018年に庭に植えたヒューケラは生育も悪く、花も咲かない。なんかモヤモヤしていたところ、園芸屋さんで可愛いヒューケラを発見。即、購入。底面給水の鉢に植え替えた。
一昨年のヒューケラは、植えたところがよろしくなかったのだと思う。日陰がよいと思ったのだが、暗すぎなんだろう。やっぱり植物は基本的に日光が好きなんだな。どうしよう。もう少し大きくなったら剪定して挿し木しようか。でも、なかなか大きくならないし。ヒューケラって葉っぱを楽しむものかもしれないけれど、やっぱり花が咲くと何倍も楽しいから。(2020/05/13)
なぜだか枯れてしまった。水のやり過ぎで根腐れだろうか。夏の暑さ負けだろうか。その頃から調子が悪くなり、伸びてきた雪の下のランナーが根を下ろしている。(2020/秋)


2018

4月に購入し、庭に植えた。(2018/05/04)

ドボン映画ベスト1

ドボンと落ちてなかなか抜け出せない。そういう体質ではないが、若いときに観た『ディア・ハンター』などは衝撃的で次の映画を観る気になれなかった。『旅芸人の記録』は、初めて観たときは全然わからなかったのだが、惹きつけられるものがあり4回くらい観た(入場料を払ったのは2回かな)。『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』は、ただただ楽しく、とあるシーンを観たくて(どのシーンか忘れてしまったが)何回も通った。『プリティー・イン・ピンク』は、ダッキーが歌うシーン(二つある)を観たくて通った(その際、同時上映の『トップ・ガン』はパス。後にヴァル・キルマー好きになったが、『トップ・ガン』ではノーマーク(^_^;)。名画座で上映されるたびに観たのは『タクシードライバー』『スケアクロウ』『エデンの東』『冒険者たち』。一度しか観ていないが、記憶だけで全シーン(のつもり)を順番に書き留めておくことが出来た『暗殺のオペラ』。原作まで手を伸ばしたのは、『戦慄の絆』『ある貴婦人の肖像』(そこからヘンリー・ジェイムズにドボン。)『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』『華麗なるギャツビー(ディカプリオ版)』など。サントラ、DVDまで買ったのも色々あるなぁ。総じて浅い沼にしか落ちていない。

比較的深い沼に嵌まったのがこれ。『大いなる遺産(1998)』だ。


監督のアルフォンソ・キュアロンは緑色が好きとのことで、初期の作品はよく緑を使っていたみたい。『大いなる遺産』ものっけから緑が印象的ですぐに引き込まれた。とにかく映像が美しい!音楽もジャンルはバラバラなのに不思議と統一感がある。イーサン・ホークとグィネス・パルトローはどちらも好きな俳優だし、ロバート・デ・ニーロにアン・バンクロフトも出演!イーサン・ホーク演じる主人公フィンが描いた絵として出てくるフランチェスコ・クレメンテによる作品群もイイ!(パンフレットによると、クレメンテさんは『グッド・ウィル・ハンティング』で主人公ウィルの催眠療法士に扮していたそうだ。)お話は原作がディケンズだからして悪いはずがないと言いたいところだが、当時ニフティの映画フォーラムでは中身がないスカスカの脚本と叩かれていた。しかし、この映画が大好きになっていた私は4回は観たし、CDもスコアとコンピレーションの両方を買って聴いていたし、原作も読んだ。もちろん、同監督の『天国の口、終わりの楽園』『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』も追いかけた。ハリー・ポッターの二作目をキュアロンが監督しなかったら一作目で観るのを止めており、皆勤も果たせなかったと思う。未見の『リトル・プリンセス』、見たいな~。『ローマ』も。

そうそう、若作りは返って老けて見えることを教えてくれたのもこの映画だ。子ども時代(子役が演じる)から二十代の長きに渡る話で、成人前の十代を演じたイーサン・ホークはグィネス・パルトローよりマシだったが、グィネスは若作りの服が致命的に似合ってなかった。似合っていれば大人びた十代で行けたかもしれないのに。似合う服を身につけるって大切なんだと思った。
そういえば、クリス・クーパーをこの映画で好きになって、その後『アメリカン・ビューティー』を始め、よく見かけていたが、最近、どうしているんだろう。ラストシーン、海辺の家にフィンが帰ってきたのを(気まずい別れをしたのに)、よう来た、早う入れという感じでおしりをポンとたたくおじさん。よい役だった。


こんなのまで書いていた。→『大いなる遺産』場面再録

植物「君の名は」・・・・衝撃の名前


昨年は7月から10月までの間、庭仕事をする気が全く起こらず、廃屋の庭のようになっていた。誰かの庭を廃屋の庭風にする一番の立役者が、この可憐な花を咲かせるつる性の植物だ。その名を屁糞葛という。

「屁糞」というからには臭いが気になるところだが、名前ほど衝撃的な臭いではない。ただし、独特の臭いで定評のあるどくだみと比較すると、断然どくだみの方がイイ匂いだ。私は、どくだみをジャパニーズ・ハーブティとして蓬とブレンドし喫しているので耐性があるのかもしれないが、毅然とした匂いに感じられて好もしい。(名前だって広辞苑によると「毒を矯める・止める、の意」とある。)
対して屁糞葛の方は、臭っているのかいないのかわからないと思っていると、引き抜いたときなど曰く言い難い(若干酸味のあるような無いような)臭いがして、すぐに霧散するような感じで悪臭にしては根性がない。手にした草を嗅いでも臭うときと臭わないときがあると思うのだが、春は漏れなく臭うような気がする。どの季節、どんなときに臭うのか、もっと意識して屁糞葛と付き合ってみるか。

というのも、初めは庭の一部分に生息していたものが、昨年ほったらかしていたため、庭中にはびこってしまったのだ。長い闘いになると思い、先手を打って3月のまだ芽が出ていないうちに、枯れた蔓をバリバリバリと引き抜いていった。端を持って引っ張ると何メートルも先まで面白いように抜ける。塀際で何重にもなった蔓を引っ張るときは、「これはリース台にできるかも、いやそんな暇はない」と思いながらメリメリ。
4月になって、やっぱり多年草だったかと思いながら、そこかしこでヒョロリと飛び出た芽を片っ端から取っていく。根が浅いのがありがたかった。ただ、他の植物に絡まるだけでなく、地を這い生息域を広げて行っているので、十字拠点が無数にあるのが難点だった。

そして、5月。屁糞葛の作戦に嵌まっていたことに気がついた。飛び出た芽を引っ張って根こそぎ(連なっている蔓と点在している根もろとも)取れて面白がっていたのだったが、どこまで蔓がつながっているか辿ると思いのほか太い蔓となり、ガッシリとした十字拠点に行き着いた。当然、拠点も根こそぎ取ろうとしたが、素手では無理で道具を使った。根は途中で切れて20cm近くあった。屁糞葛もトカゲの尻尾切りをやっていたことに気づいた瞬間だ。植物も動物も人間も同じだと感慨深かった。

私が名付けるとしたら、屁糞葛は「縦横無尽」だ。この闘いは私の負けである。なぜなら、昨日、トカゲを見かけたし、もうすぐ足長蜂が早朝から働き始め、梅雨の間に庭はジャングルとなるからだ。

パラサイト 半地下の家族

起承転結、高低差を表す階段など、型にはまった安定感。ユーモアも大。

高いところに住んでいる金持ち一家。
低いところに住んでいる貧乏一家。

起:長男がお金持ちの家に家庭教師として潜り込むことに成功。
承:長女、両親も同家に潜り込むことに成功。
転:金持ち一家が外泊中、貧乏一家がパーティーピーポー化しているところへ、策略で辞めさせられた元家政婦がやって来る。嵐~。
結:金持ち一家の長男の誕生会で思いもよらない(ポン・ジュノ監督作品としては当然のような)ウルトラC級の山場と、ピタリと決まった着地。

ラストショットは蛇足に思えるし(長男が金持ちになって父を地下から救い出すシーンは、下克上が困難な世の中を見ていれば幻想だと想像がつくので、幻想だと観客に知らせるシーンは無用だと思う)、あの石が象徴するものは何なのか私にはわからなかったけれど、やっぱり面白かった。

特筆すべきは「臭い」。いじめや差別などで(そこまでいかずとも他人を傷つける場面において)、加害者側は加害を認識していないことがよくあるようだ。例えるなら、気づかずに他人の足を踏んでいる状態。しかし、踏まれた方は、痛いし、その足をどけてほしいと思い続けているし、思っていることを口に出来る力関係だとまだマシなのだけれど、我慢し続けると「足を踏むのを止めてもらえますか。」と丁寧に言うのが難しくなる。我慢のあげく出た言葉が「どけろよ、バカ」であっても私は構わないと思うので、フィクションであれば、「なんか臭う」と言う言葉に傷つけられてきた貧乏一家の父(ソン・ガンホ)が、遂に雇い主を刺すのもありかなぁとは思うが・・・、さすがに痛かった。貧乏父さんの傷が益々深く感じられて。金持ち父さんはそれほど可哀想じゃないなぁ。その子どもは可哀想だったけど。金持ち父さんは「臭い」によって傷つく人がいるとは思いもよらなかったのだろうけど、無知は罪深い。近年、その思いが強くなるばかりだ。

最高のカット。地下室から首が~。ぎょろ目が光る~。怖可笑しい~。金持ち坊ちゃん、そらトラウマになるわ~。
(2020/02/01 TOHOシネマズ高知8)